長崎黙想の家の松村神父 32年ぶり再会へ 「お帰りなさい」と手紙も準備

松村神父が教皇フランシスコから贈られたロザリオ(上)と、教皇直筆のクリスマスカード=長崎市、長崎黙想の家

 長崎県長崎市のイエズス会立山修道院(通称・長崎黙想の家)の神父、松村信也さん(72)は32年前、ローマ教皇(法王)フランシスコ(82)と日本で出会い、長年にわたりクリスマスカードをやりとりしてきた。教皇が長崎市を訪問する24日は、西坂町の日本二十六聖人殉教地(西坂公園)で再会する予定。「お帰りなさい」という気持ちを込めた手紙を渡すつもりだ。

 アルゼンチン生まれでイエズス会出身の教皇は1987年、日本に派遣していた教え子らと会うため、東京の神学院を訪ねた。当時は本名のベルゴリオ神父。神学生だった松村さんが「いつ日本に戻ってきますか」と声を掛けると、教皇は戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに冗談と気付いて場が和んだという。

 以降、ブエノスアイレス大司教などを経て、教皇に就任した2013年の前年まで、クリスマスの時季にあいさつの手紙を交わした。松村さんが病気になった時も案じてくれた。最後に受け取った12年のカードには「あなたのために祈ります/いつブエノスアイレスに来ますか?/私のためにも忘れず祈ってください」とつづられている。

 三重県出身の松村さんは、神戸市の六甲教会主任司祭を経て14年に長崎黙想の家に着任した。六甲での活動が充実していただけに縁もゆかりもない長崎への異動に困惑した。だが「居心地のいい場所にとどまるべきではない」という教皇フランシスコの言葉を思い出し、受け入れようと決意した。

 外に向かうことや弱者に寄り添うことを重視する教皇。長崎では爆心地公園なども訪ねる。松村さんは「被爆者たちの心を癒やし、共感や絆の大切さも訴える言葉に期待している」と話している。

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