現在レアル・マドリーで厳しい立場に追い込まれているギャレス・ベイル。
出場すれば結果を残すものの、スペイン語の習得が遅れていることやゴルフに熱中していることなどを揶揄され、様々なところから批判を受けている。
ただ、レアル・マドリーというクラブは選手に厳しい場所であり、有数のレジェンドと言われる存在でもファンから批判を受けていた者が少なくない。
今回は『MARCA』から、レアル・マドリーで批判を受けた6名の超レジェンドを紹介する。
アルフレド・ディ・ステファノ
1962年のクリスマスに先立って、ディ・ステファノは広告のモデルになった。下半身が女性のものになっているというものだった。「私が妻であったら、バークシャーを着るだろう」というアパレルの広告だ。
これはレアル・マドリーのファンからはよく思われなかった。そして1月6日のホームゲームではスタンドから大きなブーイングが送られた。
ところが、ディ・ステファノはその試合でアスレティック・ビルバオ相手に3ゴールを決めた。そして批判的なブーイングはすぐにかき消された。
クリスティアーノ・ロナウド
クラブレコードのゴール数を叩き出したクリスティアーノ・ロナウドであるが、サポーターとは緊張関係になったことも複数回ある。
彼は2016-17シーズンに指笛を吹かれることに不満を述べ、ジネディーヌ・ジダン監督はその対応に追われてしまった。
「マンチェスター・ユナイテッドではこんなことは起こらなかった。僕は好きではない」とロナウドは後に話し、サンティアゴ・ベルナベウの観客が動揺を表現する傾向について明かしていた。
イケル・カシージャス
レアル・マドリーでのイケル・カシージャスの最後はとても複雑だった。ベテランになった彼はしばらく不調を経験し、モウリーニョ監督からはベンチに降格させられていた。
観客の一部から指笛を吹かれるようになり、それに対してカシージャスは2015年5月9日のバレンシア戦で公に話していた。『指笛をやめてほしい」と。
結局追われるようにレアル・マドリーを去った彼はFCポルトに加入し、他の場所で現役生活を続けることを決めた。
ミチェル
イケメン選手として大きな人気を集めたミチェルも、レアル・マドリーのファンから一度大きな抗議を受けたことがある。それは彼の心を深く傷つけ、1988-89シーズンに一度退団を決意させた。
「父親から毎日叱られているような気分だ。結婚式の日でも変わらず」と後に『Cadena SER』に明かしたミチェル。
イタリアのクラブと契約したと発表するまで事態は進んだが、結局はレアル・マドリーに残って1996年までプレーすることになっている。
フアニート
1977年にレアル・マドリーへとやってきたFWフアニート。284試合に出場した名選手であり、彼ほどファンから愛された者もそれほどいない。
このビッグクラブでは彼のようなスペシャルな存在も批判の対象となった。しかし彼はこのように話し、その反感を受け入れることを決めていたという。
「それは痛いものだ。だが沈黙よりはいいかもしれない。私がミスをしてもファンが黙っている日が来たら、それは本当に私を落ち込ませるだろう」
途方もないドリブル力と闘争心を持っていたフアニート。そのような強い心で戦った彼も、1992年に発生した交通事故には勝つことができず、37歳の若さでこの世を去っている。
エミリオ・ブトラゲーニョ
ブトラゲーニョは現在レアル・マドリーのディレクターを務めていることで知られる人物だ。現在のギャレス・ベイルを擁護し続けている者の一人でもある。
1983年からトップチームで数々の実績を残してきた彼であるが、晩年になった1994年のディナモ・モスクワ戦で大きな批判を浴びることになった。
当時の監督であったホルヘ・バルダーノは大いに擁護したが、ブトラゲーニョはこのシーズンを最後にレアル・マドリーを去り、メキシコで3年プレーした後に引退をしている。