イーグルスがカバーした聖夜のクラシック「ふたりだけのクリスマス」 1978年 11月27日 イーグルスのシングル「ふたりだけのクリスマス」が全米でリリースされた日

子供の頃ひとりで聴いたクリスマスソング「プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス」

子供の頃、僕は市営住宅に住んでいた。平屋が数軒つながっているブロックが複数ある、いわゆる団地だ。部屋は4畳半がふたつにダイニングというか流しや食事をするスペースのみの小さな家。

そんな小さな家でも、何故か立派なステレオがあったんだ。昭和30年代に流行った家具調のやたら豪華なステレオって言えばわかるかな。犬のマークがついていたから、メーカーはビクターだったと思う。小学校に入った頃には、そのステレオに触らせてもらえるようになって(壊れる寸前だったけど)、鍵っ子だったこともあり、一人遊びとして親父やお袋のレコードを良く聴いた。

新しいレコードは全然無く、古いロカビリーやブルース系が多かったかな。特に多かったのがエルヴィス・プレスリーで、その影響は大きく、僕は、幼稚園の時には既に、「ハウンド・ドッグ」と「監獄ロック」をデタラメな英語で歌っていた。

そんなガキんちょだった僕が好きだったクリスマスソングが、今回のコラムのテーマである「プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス」だ。

ヒットチャートに突然現れたイーグルスのカバー・バージョン

小学1年生の時のクリスマスの頃だったと思う。僕は、エルヴィスの「ブルー・クリスマス」のレコードと一緒にチャールズ・ブラウンの「プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス」(1960年)のレコードを見つけた。すぐに聴いてみた。そして感動した。何度も何度も聴いた。だからかな、僕は未だに、この曲が洋楽のクリスマスソングの中で一番好きだ。

そして、僕のクリスマスのスタンダードナンバーとして決定的になったのは1978年の暮れ。なんとイーグルスがカバーして突然ヒットチャートに現れたんだ。邦題は「ふたりだけのクリスマス」。「ホテル・カリフォルニア」でイーグルスの大ファンになっていた僕は、ラジオから流れてくるこの曲を聴いた時、好きな曲を好きなバンドがカバーしてくれたことに運命を感じた。

ドン・ヘンリーが語っている。「チャールズ・ブラウンの “プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス” のオリジナルバージョンを最初に聴いたのは子供の頃でラジオだったよ。それ以来、この曲がいつも頭から離れなかったよ」と。

勝手な解釈だけど、ドン・ヘンリーは1947年生まれだから、チャールズ・ブラウンの曲がリリースされた年に初めて聴いたとすると13歳の時だ。イーグルスがカバーした「ふたりだけのクリスマス」を僕がラジオで初めて聴いた時も13歳の時。ね、運命を感じるでしょ。

以来、僕のクリスマスソングの定番は、イーグルスの「ふたりだけのクリスマス」となる。1984年にワム!の「ラスト・クリスマス」がリリースされ、クリスマスソングの定番の位置に君臨するようになっても、僕の中では「ふたりだけのクリスマス」の牙城が崩されることは無かった。

オリジナルはチャールズ・ブラウン、イーグルスが掘り起こした聖夜のクラシック

しかし「ふたりだけのクリスマス」は、場つなぎとしてリリースした曲として評されることが多い。モンスターアルバムとなった『ホテル・カリフォルニア』の次のアルバムである『ロング・ラン』が、そのプレッシャーからか中々完成に至らず、ドン・ヘンリーとグレン・フライの深まる亀裂を埋めるために、息抜きの意味も込めてレコード会社が提案した企画だったとのことだ。

結果的に、難産の末にリリースされた『ロング・ラン』を最後にイーグルスは解散することになり、「ふたりだけのクリスマス」はドン・ヘンリーとグレン・フライの亀裂を埋めることは出来なかったけれど、決して場つなぎの曲という位置で終わってはいないと僕は思う。だって、1960年のクラシック・クリスマスソングの名曲を掘り起こし、1980年代を迎えようとする時代にもう一度送り出してくれたのだから。

オリジナルを歌ったチャールズ・ブラウンだってきっと喜んでいると思うし、事実、イーグルスの「ふたりだけのクリスマス」は、リリースされて以降、今でもクリスマスソングチャートを賑わしている。ボン・ジョヴィなど、様々なアーティストがこの曲をカバーしているのもイーグルスの「ふたりだけのクリスマス」があったからだと言っていい。

平成生まれの方はこの曲を知らない人も多いかもしれない。今年のクリスマスは、このスタンダードナンバーを是非聴いてみてください。

※2017年12月23日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 藤澤一雅

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