教皇来崎 その意義・上 カトリック長崎大司教・高見三明さん(73) 核廃絶 さらに取り組む

「今まで以上に核廃絶に取り組む」と語る高見大司教=長崎市橋口町、カトリック長崎大司教館

 長崎市を訪問したローマ教皇フランシスコは核兵器廃絶をはじめ、数多くの印象的なメッセージを残した。聖職者、識者、被爆者は教皇の思いをどのように受け止めたのか。それぞれに話を聞き、教皇来崎の意義を考える。

 長崎空港から爆心地公園へ向かう教皇の車に同乗した。教皇はタイへの訪問を終えたばかりで本当に疲れている様子だった。だが移動中は、車の窓を開けて沿道で歓迎する一人一人に向かって一生懸命、手を振っていた。人々への思いやりを感じた。

 教皇にとって来日の目的は、被爆地から平和のメッセージを発信することが第一だった。車の中で、用意していた被爆瓦や熱で溶けた瓶を見せると「ひどいことだ。核兵器を持ってはいけない。しかし、どんなに核廃絶を叫んでも世界が変わらないのは嘆かわしい」と話していた。

 教皇が長崎や広島で、核兵器を所有しながら平和を語れるのかと問い掛け、核廃絶のためには全世界の人が協力しないといけないと訴えたことが、特に印象に残っている。核は必要と考えている人は多い。しかし、核の問題は人の生き方や生活、平和に関わり、全ての人の問題といえる。

 教皇のメッセージを信者の間に浸透させ、今まで以上に核廃絶に取り組まないといけない。こうした取り組みを政治活動だと誤解する信者もいる。自分のことと自覚し、理解してもらうのが大事だ。教皇は環境問題についても語った。具体的な行動に結び付けたい。

 教皇は長崎で、殉教の地(日本二十六聖人殉教地)に行き、殉教者の信仰に触れたいという思いもあったようだ。信教の自由などについて語り、予定にはなかった記念館も訪れた。東京で東日本大震災の被災者に会ったり、上智大で学生たちに誠実な人間になるよう呼び掛けたりした。短い日本滞在だったが、残したメッセージの中身は濃いものだった。少しずつ咀嚼(そしゃく)しながら、実行に移せるものは移していきたい。

 教皇は若いころ日本での宣教を望んだが、健康上の理由でかなわなかった。長崎の地で迎えられたのはこの上ない喜びだったが、教皇にとっても夢が実現した思いではないか。教皇来日をどう意義づけ、日本のために役立てられるかをこれからも考えていく。

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