ジョージ・ハリスンからの指南、好きな音楽だけを作っている方がチャンスは大きい! 1988年 1月16日 ジョージ・ハリスンのシングル「セット・オン・ユー」が全米1位になった日

ジョージ・ハリスンにとっての80年代とは?

「最新情報に疎いまま、何が流行っているのか気にせず、ひたすら自分の作りたい曲だけを作っていたとしても、チャンスはあると思う。まめに追っている人と同じくらい、いやもしかすると、逆にチャンスは大きいかもしれない。表面的な栄枯盛衰にまどわされず、より本質に近づくことができるのだから」

これは1979年2月下旬に行われたインタビューでのジョージ・ハリスンのコメントだ。そして、ジョージにとっての80年代とは、まさしくこの言葉通りのものだったと言える。

1980年の秋、レコード会社がジョージのニューアルバム『想いは果てなく~母なるイングランド(Somewhere in England)』の内容に難癖をつけた。「アップテンポな曲が少ない」という理由で、発売直前に曲の差し替えを命じたのだ。ジョージはその要求を渋々受け入れたが、このときの屈辱がジョージのこうした考えに拍車をかけたのだろう。

腹をくくったジョージ・ハリスン、もう好きなことしかやらないよ!

以来、ジョージの音楽には、その時々の彼の興味がそのまま反映されるようになった。「もう好きなことしかやらないよ」と、腹をくくったのかもしれない。その姿勢は亡くなるまで変わることはなかった。

1982年リリースの『ゴーン・トロッポ』は、当時よく訪れていたオーストラリアでの生活が色濃く反映されていた。ジョージらしい美しいメロディーが満載の1枚だったが、トロピカルなジョージ流リゾートミュージックは、黄色が基調のぶっ飛んだジャケットを見てもわかる通り、自分のアーティストイメージなど意に介さないものだった。

またプロモーション活動も一切行わなかったので、これまでのどのアルバムよりも売れなかった。それでもジョージはそんなことなど先刻承知と、気にもとめなかったという。

とはいえ、せっかくがんばって作ったのだし、できればたくさんの人に聴いてほしいと思うのが自然の摂理。そこで1987年リリースの『クラウド・ナイン』では、世間が喜びそうなエッセンスをアルバムに散りばめることにした。つまり、ビートルズである。

全米1位「セット・オン・ユー」と、トラヴェリング・ウィルベリーズの結成

ジェフ・リンを共同プロデューサーに迎え、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、エルトン・ジョンなど旧知の仲間を集めて、ちょっぴりノスタルジックな気持ちも込めて作ったこのアルバムは、シングル「セット・オン・ユー(Got My Mind Set on You)」の全米1位というおまけもついて、ジョージ・ハリスン復活を告げるヒット作となった。

気心の知れた仲間と音楽を作る楽しさを思い出したジョージは、その流れで覆面バンド=トラヴェリング・ウィルベリーズを結成する。メンバーは、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、トム・ペティ、ジェフ・リン、そしてジョージ。ドラムには名手ジム・ケルトナーが全面参加している。

アメリカのルーツミュージックを俯瞰し現代に蘇らせたような作風は、趣味的でありながらスケール感のある素晴らしいものだった。時代を反映した音ではなかったにも関わらず、セールス的にも成功し、批評家筋の評判も上々。1988年と1990年に2枚のアルバムをリリースし、1作目は全米3位、2作目は11位を記録している。思えば、このときのジョージは本当に楽しそうだった。

有言実行!ジョージ・ハリスンが80年代に証明したこと

曲の差し替えという悔しい出来事でスタートしたジョージの80年代だったが、振り返ってみれば、実りある幸せな10年間だったことがわかる。60年代にデビューした同僚たちの多くが失速する中、ジョージは自分の好きな音楽だけを作り、セールス面と音楽的評価の両方で成功を収めた数少ないアーティストだったと言える。

改めて冒頭の言葉に戻ってみると、ジョージは自分の言ったことを見事に実践したことになる。何が流行っているのかなど気にせず、ひたすら自分の作りたい曲だけを作っている方が、逆にチャンスは大きいことを証明してみせたのだ。

※2018年2月24日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 宮井章裕

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