フジファブリック 路地裏の僕たち - 志村正彦の意志や存在を継ぐべく活動中の路地裏の僕たちが志村について語る

これも正彦が繋いでくれた縁を感じますね (マサト)

──まずは「路地裏の僕たち」とはどのようなグループなのか? から教えて下さい。

マサト:分かりやすく言うと「志村正彦の応援団」ですね。いま一番メインの活動はラジオで。エフエムふじごこにて「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」という番組を毎週日曜日14時から30分間任せてもらっています。これがなんと丸3年半続いているんです。

──メンバーはみなさん、志村さんの同級生だったとか?

マサト:そうなんです。彼の小中高の同級生たちが主で。僕の場合は小中が正彦と一緒だったんですが、高校の頃の同級生もグループにはいて。当時は直接的には面識のなかった者もいたんですが、そこでみんな一緒になって活動をしています。不思議なもので。これも正彦が繋いでくれた縁を感じますね。

──そもそもこのグループの結成のキッカケは何だったんですか?

マサト:市民会館で行われた展示会でした。2011年の命日(12月23日24日)に有志で「志村正彦展」を行ったんです。そこで各同級生に声をかけたのが始まりで。自分も当時、正彦が亡くなってモヤモヤしたものが心に残っており、「何か正彦の為にしたい」とか「何かを残してあげたい」「伝えてあげたい」との想いがあったんです。でも実際に何をしたら良いか?が分からなくて。そんな中、あの展示会の提案が入ってきたんです。

──それはどんな展示会だったんですか?

マサト:彼の使っていたギターやアンプ、衣装や写真類を展示したりしました。それが遠方も含め、2日間で3000人もの方々に来ていただけて。それには自分たちもど肝を抜かれましたね。こんなに多くの方が、しかも全国各地から、この寒い富士吉田に来てくれた。それが凄く嬉しかったし、正彦をあらためて誇りに感じました。東京に出てからの正彦には、なかなか会うことができなくて人づてや情報でしか伝わってこなかった面もあったんで。ああ、向こうに行ってからはこんなにも凄い存在になってたんだ…と改めて実感しましたね。

──ちなみにグループ名の「路地裏の僕たち」の名前はどこから?゛

マサト:当初はその展示会の名前でした。「志村正彦展~路地裏の僕たち~」というタイトルで。フジファブリックの歌で「陽炎」って曲があって。そこからいただきました。その歌には富士吉田の小学校時代の志村が歌われている感があって。この曲に「路地裏の僕」というフレーズが出てくるんです。それをいただき、自分たちも含ませてもらい、「僕たち」にさせてもらいました。市役所の先輩でアドバイザーでもあるカズフミさんが提案してくれました。

──当時の志村さんはマサトさんにはどのように映っていましたか?

マサト:小中と一緒だったんですが、当時はそこまで目立つタイプではなくて。まさかその後にバンドマンで、しかもフロントマンとして後世に名を残すまでになるとは…って感じでした。自分が前のめりで突進していくタイプだったとしたら、どちらかといったら彼は、それを冷静に後ろからキチンと見ながら動くタイプだったような…。中学の頃は一緒にカラオケに行っても、とにかく奥田民生さんしか歌わなかった(笑)。みんなは当時世間で流行っていた歌をうたっていたのに対して、彼は頑なに奥田民生さんやユニコーンの歌しか歌わなくて。ちょうど彼を音楽の道へと歩ませた、富士急ハイランドでの奥田さんのライヴを観た後だったこともあるんでしょう。やはりそこにはこだわりがあったようでした。

もっとフジファブリックを富士吉田が生んだことを知ってもらいたい思いも強くあって(マサト)

──夕方に鳴る防災無線のチャイムを「若者のすべて」に変更させたのもマサトさんだったとお聞きしています。

マサト:地元の方々もフジファブリックという存在や凄い人気という情報はうっすら入ってはいましたが、当時はやはり地元ではそこまで浸透していなくて。まだまだ説得力不足なところがありました。そんな中、やはり地元の人にも、もっとフジファブリックを富士吉田が生んだことを知ってもらいたい思いが強くあって。そんな時、ふと「若者のすべて」の曲の中の「夕方5時のチャイム」というフレーズがあることを思い出したんです。そこからそれを実際のチャイムに変えられないか? と考えたんです。その当時防災の担当だったんですが、なかなかそれが切り出せなくて…。

──知名度的にまだ躊躇があったんですね?

マサト:そうなんです。そんな中、地元の高校生の女の子から「是非チャイムを「若者のすべて」に変えて欲しい」とのメールをいただいて。同じことを思っている人が居ることに気づき、一度、上にあげてはみたんです。とは言えやはり簡単にはいかなくて…。しかたなくその子には、「この夕方5時のチャイムこそが志村の聞いていたチャイムだったので、それを聞いてほしい」と苦しい言い訳をして一度は諦めたんです。でも、その後も展示会や内外から色々なファンの方々が訪れるようになり、凄いことがようやく周りにも浸透し始め、2012年に市の若手職員が提案して、町おこし的なことを考え実行するプロジェクトが始まったんです。そこで提案してついには変更OKに至ったと。

所縁の深かった志村くんの存在もどこかで参加してもらいたくて(樋口)

──ちなみに樋口さんが路地裏の僕たちと出会ったのは?

樋口:2015年頃に行われたフジファブリックの映像の上映会の時でした。富士五湖文化センターでの凱旋ライヴのDVDの上映会と展示をやった際に。

マサト:もちろんその前から樋口さんの存在は知っていました。その上映会以降、急速に親しくさせていただいています。

樋口:あと思い出深いと言えば、ロフト主催で自分が企画制作し、自身にとっても新宿ロフトを出て初めての大きなフェスみたいなものを2016年に渋谷のTSUTAYA O-EASTで行ったんです。その際に路地裏の僕たちにも展示として参加してもらったこともありました。それは新宿ロフト40周年記念ということもあり、非常に縁のあるミュージシャンの方々に出演していただいたんです。そんな中、所縁の深かった志村くんの存在もどこかで参加してもらいたくて。そこで志村くんの意思を継いでいる、路地裏の僕たちに出演を願ったんです。富士吉田からその空気を是非会場まで運んで欲しくて。その際は展示として参加してもらいました。

マサト:これまで展示を富士吉田以外で展開したことはなかったんですが、この誘いは嬉しかったし、「もし正彦が生きていたら、絶対に参加していただろうな…」と喜んで参加させてもらいました。

──マサトさんにとって志村さんとはどのような存在でしたか?

マサト:幼い頃からの友達ではありますが、同時に彼のファンであると思っています。インディーズ時代のCDもまだECがそれほど発達していない頃の発売だったこともあり、どうしても地元では手に入らなくて。僕の場合は上京していた弟に代わりに買ってきてもらったりして手に入れてました。しかも気づけば車用と家で聴く用の2枚持っていたり(しかもかなり聴き込み年季が入っている)。

──彼の音楽的な面はいかがですか?

マサト:彼の音楽には。変な暗さやジメッとした部分もあったり。妙にクセになっちゃう面とか。あとはやはりインディーズ盤の2枚には富士吉田の色々な光景や情景を彷彿とさせる歌詞も散りばめられていたんだな…と、今回改めて感じました。『アラカルト』の「浮雲」。これは富士吉田の忠霊塔からの光景が歌われていたりするんですが、今でこそ観光スポットとして海外の方も多く訪れるようになりましたが、当時は今ほど全然整備されていなくて。それこそあまり人の行かない、隠れてデートをしにいくような場所でしたから(笑)。その当時の忠霊塔と、あの「浮雲」に漂う暗さ、あれには凄く当時の富士吉田を感じたりします。

いつものラジオのトークや雰囲気、富士吉田の空気を少しでも会場に持ち込み、みなさんと共有できればなと。メンバーみんな楽しみにしています。では会場で(ダイゾー)

──(ここで他のメンバー3人も合流)では最後に、12月7日のトークイベントへの意気込みと、今後の路地裏の僕たちの活動の抱負をお聞かせ下さい。

マサト:毎回何かやる度に、「これが最後だ」との気持ちで全力で取り組まさせてもらっているので、今後は…やはり分からないです(笑)。なので、もしかしたら12月7日が最後かも…(笑)。冗談です(笑)。そのトークイベントの方はお酒でも飲みながら楽しくゆるりとやらさせてもらおうかなと。

つーさん:僕らの場合、完全な素人集団なので、ラジオがずっと続いているというのがある種の奇跡なんですが(笑)。何度も「やめるか?」的な話も出ましたが、なんだかんだ続けてきたので、今後もこんな感じで続いていくことでしょう。但し今後はよりネタ切れの懸念もあるので、ネタは常時募集中です(笑)。

スナオ:ラジオはおかげさまで毎回楽しくやらせてもらっています。最初は自分たちでも、「聴いてもらっている」との感覚もなく、ただ自分たちのことを喋っていただけですが、段々とリスナーも増え、楽しみにしていると言って下さる方も現れ出して、今やある種の使命感を持ってやってます。是非その辺りも今後も楽しみにしていて欲しいです。

ダイゾー:トークイベントの方も、それこそいつものラジオのトークや雰囲気、富士吉田の空気を少しでも会場に持ち込み、みなさんと共有できればなと。メンバーみんな楽しみにしています。では会場で。

路地裏の僕たち

フジファブリックのボーカル&ギターとして活躍した富士吉田市出身のミュージシャン「志村正彦」の同級生が中心となって集まった志村正彦の応援団。多くのミュージシャンに認められた、唯一無二な彼の音楽をもっと多くの人たちに知ってもらいたい。そして正彦と故郷富士吉田を愛し続けてくれる全国のファンに対して恩返しをしたいという志しのもと、展示会や上映会のイベントを行ったり、FMふじごこでラジオ放送を行っている。

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