歯科医が初診ではっきり告げた。「ほとんどの歯が虫歯だ。この年齢でその状態はまずいよ」。医師の指摘に返す言葉がなかった。宇都宮大に進学した18歳の時だった。
山中哲(やまなかてつ)さん(20)=仮名=には、物心が付いた頃から歯磨きの習慣がなかった。初めての虫歯治療は幼稚園生の頃。当時の治療をきっかけに「極度の歯医者嫌い」になった。
入学した小学校には給食後に歯磨きの時間がなかった。家庭環境も複雑だった。父親の家庭内暴力で母親と一緒に実家に身を寄せたのは4年生の時。
転校の手続きをしておらず、学校へ通えなくなった。そこでも親戚との関係が悪化し、母とまた家を飛び出した。母子保護施設への一時入居を経て、生活保護を受けた暮らしが始まった。
転入先の小学校でも、歯科健診で毎回のように治療を勧められた。歯磨きの習慣がないのは母も同じで、診断結果を見ても通院を強いることはなかった。
虫歯は増え、いつの間にか前歯にもできた。欠けた前歯を隠そうと、口を開かずに話す癖が付いた。写真に写るときは、歯を出さずにほほ笑むようにした。
高校生の時、友人は悪気なく聞いてきた。「歯、黄色くない? たばこ吸ってんの」
「吸ってねーよ」。なるべく「さらっと」答えたが、胸にぐさりと突き刺さった。自分の歯がコンプレックスになった。
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虫歯がない子どもの割合は年々増えている。その一方で、県保険医協会が県内の公立小中学校を対象に昨年初めて行った調査では、虫歯が10本以上あるなど「口腔(こうくう)崩壊」と呼ばれる子どもたちが「いる」と回答した学校は、5割を超えた。
さらに、学校歯科健診で受診が必要とされながらも、後に歯科を受診した児童生徒は半数にとどまった。子どもの健康管理への理解不足や関心の低さが要因として挙げられ、格差や貧困、保護者の厳しい就労状況なども浮かんだ。
同協会の副会長で壬生町の君島歯科医院の君島充宣(きみしまみつのり)院長(61)は「子どもの歯に対する親の意識は二極化している」と指摘する。
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大学進学後、山中さんは宇都宮市内の歯科医院に通い始めた。痛みはなかったが、症状が進行して根管治療を要する虫歯もあった。歯列矯正も勧められた。だが、虫歯の治療費を捻出するので精いっぱいだった。
学習支援を受けて進学をかなえた「恩返し」と、今は課題を抱える子どもたちの生活支援をしている。自分の経験から食後の歯磨きを提案し、取り組みを始めた。
「自分も子どもの頃に歯磨きが習慣付いていたら良かったんですけどね」。治療はまだ続く。ただ、自然に笑えるようになってきた。
【ズーム】口腔に見える健康格差 東北大の相田潤(あいだじゅん)准教授らの研究グループは、親の学歴が低いほど子の虫歯の罹患(りかん)が多く、成長に伴い健康格差が拡大することを明らかにした。「乳幼児健診や幼稚園、学校などでの対策が格差の縮小に有効」として公的な支援の必要性を訴えている。