SOSなく 自ら絶った命

第1部 そこにある病理 労働(1)オーバーワーク

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信二さんが亡くなった後も送り続けている広美さんのメッセージ。生前、仕事が深夜にまで及んでいた際も気遣いの言葉を頻繁に届けていた=11月上旬

 2018年の夏。最高気温が35度を超える日だった。午前8時半ごろ、自宅の電話が鳴った。

 「旦那さんが職場で亡くなりました」。警察官の声が受話器に響く。

 信じられなかった。居眠り運転による事故? それとも突発的な病気? 県央在住、アルバイト伊藤広美(いとうひろみ)さん(40代)=仮名=は、とっさにそう頭に浮かべた。しかし、その後の電話で予想もしていなかった死因を、夫の男性上司から告げられる。

 夫の信二(しんじ)さん=仮名=は、職場で自ら命を絶っていた。41歳だった。

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 夫は県内の広告代理店で、広告のデザインを担当していた。繁忙期もあったが一時的で、健康診断でも、検査が必要ということはなかった。

 状況が変わったのは亡くなる1年半ほど前から。紙媒体の仕事が減り、インターネット関連の広告が増えた。ホームページや動画の作成など経験してこなかった業務の影響で、帰宅時間が徐々に遅くなった。

 午前8時半から仕事を始め、帰ってくるのは深夜が当たり前。帰宅せず、泊まりがけで翌日の仕事に移ることも珍しくなかった。男性上司の叱責(しっせき)が一日数時間に及ぶこともあったという。

 亡くなる2日前の夕方。信二さんは休日出勤するため自宅を出て行った。「何も言わず、すっと行っちゃった」。夫の生前の姿を見たのは、それが最後になった。

 信二さんの死は労災に認定された。15年12月に広告大手電通の女性社員が過労自殺し、17年10月にはNHKの女性記者の過労死が発覚。過重労働が社会問題化した。夫の死は、こうした問題が明らかになった後の出来事だった。

 信二さんが過労自殺のニュースを目にしたとき「何で逃げないんだろうね」と話したことを覚えている。

 だが、当事者になった夫も、仕事を辞めたり医療機関などに相談したりしてSOSの声を出すことはできなかった。

 職場環境が健康に与える影響に詳しい自治医大名誉教授の加藤敏(かとうさとし)医師(精神医学)は「過労による気分障害には、うつ状態とそう状態が入り交じるケースが多く、本人も周囲も病気と気づきにくい」と指摘する。

 広美さんは信二さんの変化を感じてはいた。不規則な生活で体重が増えた。気分が落ち込み「病院に行けばうつと診断されると思う」と話したこともある。

 「助けを求められればよかった。せめて早く病院に行っていれば…」

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 今でも広美さんは、無料通信アプリLINE(ライン)で信二さんに娘の成長の記録を送っている。写真や動画を付け、信二さんのスマートフォンを操作して「既読」にする。

 「仕事が忙しいとき、送ってくれと頼まれていたんです。今でも伝わる気がして。会いたいって、ずっと思ってる」

 【ズーム】労働の影響 世界保健機関(WHO)が挙げる健康に影響を及ぼす要因「ソリッド・ファクツ(確かな事実)」の一つ。仕事上のストレスが健康状態を大きく左右し「病気や死の重要な原因になる」と指摘。仕事上の裁量の自由が少ないと「心血管系疾患などの増加を引き起こす」としている。