第32回「自分の人生が自分にはちょうどいいはずだけれど──」

なりたい自分、ありますか?こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

いつも素通りする紀伊国屋スーパーの入り口で、スープ餃子の試食をしている家族がいました。

ベビーカーを押すお父さんと、人間の頭よりもおおきい顔のアンパンマンのぬいぐるみを抱いたお母さん。売り子のおじさんは目線を落として笑顔でなにかを話しています。わたしの位置からは見えなかったけれど、ベビーカーの中には赤ちゃんが座っていたのでしょう。お母さんがベビーカーの中を見つめて「ふふっ」と笑いました。

人生で一度も「お母さんになりたい」と思ったことがない、というのがわたしのコンプレックスなのですが、そこに優劣はつかないと誰よりも自分が思っているのに、それでもやっぱり「コンプレックス」と思ってしまいます。スープ餃子を買う人も売る人もどちらの人生に優劣がないように、お母さんになった人生も、お母さんにならない人生も等しく尊いはずなのにね…いや、はずじゃないや、尊いと断言できるのに。

でも、どうしてもアンパンマンのまるまるとした後頭部が頭から離れなくなってしまい、「ああ、なるほど」と思いました。あの後頭部は幸せの具現化か。

さっき見た「ふふっ」という笑顔は、たぶん、わたしには一生できません。

駅を抜けると馴染みのある油の匂いがしてきて、マクドナルドの赤い看板が見えてきます。蛍光灯で煌々とした店内には、さっき見た風景とそっくりのベビーカーを押した家族や、仕事帰りの人、野球ユニフォームのままの子どもたち、テーブルをくっつけておしゃべりに夢中なおばさまたち。

自動ドアに吸い込まれながら、わたしの人生はこうしてマックに並んでいるくらいがちょうどいいよな、と安心感がわき出てきます。ポテトが全サイズ150円だったのでLサイズを買い、家までの坂道、もう誰も歩いていないことを確認して、歩きながらポテトを食べました。

ぬいぐるみの後頭部。ファミリーサイズのスープ餃子。のぞきこむベビーカー。マックのポテトが揚がる音。北風。なぜだか「あーあ」と伸びをしたい気持ちになります。こうやって大事にポテトの紙袋をかかえているような、わたしには自分の人生がちょうどいいともう一度思ってから、ひそやかに笑いを噛み殺しました。今、赤ちゃんの子も、いつかわたしと同じようにマックを食べるのだろうか。そして、その人生のなかで、こうやって行儀悪く食べながら歩いたりもするのだろうか。

きっと、あの赤ちゃんはまだスープ餃子が食べられないけれど、幸せにすこやかに育っていってよねーと願っていたらつい、鼻歌しそうになりました。

なにがきみのしあわせ、なにをしてよろこぶ。

わたしは、わたしの幸せを知っているけれども、でもどうして温かな幸せよりも、北風に吹かれながらポテトの袋を冷気から守ることのほうに安心してしまうのだろう。自分の幸せは自分で決める、なんて当たり前だけど、ときどき腑に落ちない。マフラーだけでは寒くなってきた真冬手前。東京は雪が積もらないだけまだいいか。

風、吹かないでくれ。ポテトが冷める。

Aico Narumiya Profile

朗読詩人。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。2017年に書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』刊行(書肆侃侃房)。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。ニュースサイト『TABLO』『EX大衆web』でも連載中。2019年7月、詩集『伝説にならないで ─ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』刊行(皓星社)。

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