月刊牧村 冬期ゼミ#4『イエロー・マジック・チルドレンの逆襲』その2

2019年2月11日(月・祝)ROCK CAFE LOFT is your room

【講師】牧村憲一

【ゲスト】高野寛、吉村栄一

YMOのファンにとっては興味深いお話が続きます。今回は3号連続連載の2回目。僕も最後のほうで少し参加します。なお、12月25日(水)にYMCライブはリリースされます。(文責・牧村憲一)

YMOをカバーする時の〈外し方〉

吉村:高野さんはYMOのカバーをけっこうやっているじゃないですか。

高野:やってますね。3曲くらい正式に出してるかな。

吉村:今回のYMCのコンサートではカバー1曲とオリジナル1曲を披露されますが、もう選曲は済んでいるんですか。その選曲を踏まえて、高野さんのYMOのカバーをここで聴いてみたいんですけど。

高野:じゃあ、これを聴いてみましょうか。

──高野寛「音楽 / Ongaku」

吉村:高野さんはこの他に「中国女」と「君に、胸キュン。」をカバーしていますが、カバーしたくなる基準はどんなところにあるんですか。

高野:いま聴いてもらった「音楽 / Ongaku」もそうなんですけど、ほぼシンセを使ってないんです。ギターでアレンジができる曲しかカバーしません。あえて言えばそれが基準かもしれませんね。もし自分が鍵盤を弾けたら、どうしてもYMOに似たものを目指してしまうか、あるいはYMOとは全くかけ離れたものを目指したかもしれませんね。

吉村:シンセを弾けたらYMOと同じ機材を使いたくなって、どんどんコピーに近づいてしまうでしょうね。

高野:だと思うんですよ。そこの外し方も難しいし、真似したらしたで徹底的に真似したくなってしまうんじゃないかな。HASYMOの時にギタリストとして共演させてもらった時は逆に困りましたね。

吉村:と言うと?

高野:僕の中では大村憲司さんのイメージが強すぎて、そこから離れられなかったんです。自分なりの解釈でYMOにギターで参加するというのがなかなかできなくて、正直、迷いました。僕の後に小山田圭吾くんがギターを弾くんですけど、彼はリアルタイムでYMOを通ってなかったし、コーネリアスらしさを発揮することでYMOと上手く化学反応を起こせるんです。その点、僕はちょっと構えてしまうんですよ。

吉村:なるほど。2011年のゲスト・ギタリスト、クリスチャン・フェネスもYMOの原体験がないのが逆に良かったと。

高野:そうだと思います。高田漣くんはマンドリンやペダルスティールをフィーチャーすることで独自色を出していましたけどね。

吉村:その高田漣さんなんですが、それまでずっとブルースやフォークの方向だったのに、まりん(砂原良徳)を共同プロデューサーに迎えたアルバム(『FRESH』)をこのあいだ出しましたよね。YMCの影響ではないと思うんですけど、ちょっとびっくりしまして。その中から1曲聴いてみましょうか。

──高田漣「GAMES」

YMOとシティ・ポップ再評価の共通点

高野:最近になって気づいたんですけど、はっぴいえんどの人がYMOをやっていたってどういうことなんだろう? と思って(笑)。これ実はものすごいことだと思うんですよ。ものすごいアンビバレントじゃないですか。はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YMOという、幼虫が蛹になって蝶になる進化の延長線上に今の良質なJ-POPのすべてがあると僕は思うんです。そこに集約してしまえばいいんじゃないかと。今またシティ・ポップが評価されているのは、70年代に開花した時代の徒花みたいなジャンルがインターネットの時代になってようやく世界中の人から認められたということなんじゃないかと僕は捉えています。

吉村:去年、ロンドンのレコードショップに行ったら、ジャパン・ポップスというコーナーが普通にあったんですよ。

高野:素晴らしいですね。それは日本人が思っているJ-POPの王道とはちょっと違うセレクトなんですよね?

吉村:違いますね。70年代のティン・パン・アレー周辺のセレクトです。

高野:だとするとその現象も、YMOの日本での評価が最初は芳しくなかったのがアメリカで火がついて、逆輸入される形で日本で評価を受けたことと似ていますね。そういう現象は今の自分にとって希望でもあります。

吉村:YMOの時代は、ファースト・アルバムにしてもアメリカ向けにジャケットを変えられて東洋人であることを見えにくくして、おかしなディスコ・バンドみたいな売り方をされたわけですよね。つまり日本人の音楽そのままという形で受け入れられたわけでは決してなかった。再発された『SOLID STATE SURVIVOR』のライナーノーツにも書きましたけど、『SOLID STATE SURVIVOR』をアメリカで出そうとした時、サムライのイラストのジャケットに変えられそうになったんですよね。

高野:のちに「RYDEEN」のシングル盤に使われたジャケットですね。

吉村:そう、日本盤の「RYDEEN」です。だから日本人がジャケットに写って格好いい音楽をやっているのは、当時のアメリカではまだ認められていなかった。イギリスのほうでは受け入れられたんですけどね。ところで、今度のYMOハウスバンドの一員でもある白根賢一さんのアルバムにもびっくりしたんですけど…。

高野:これは2008年に出たアルバム(『manmancer』)ですね。

──白根賢一「bigbang girl」

高野:意外ですよね。ハウスやテクノ、エレクトロといった要素をふんだんに取り入れてあって、ドラマーが作ったソロ・アルバムとは思えない。

吉村:ドラマーなのにドラムを全然叩いていないという(笑)。

高野:白根くんは中学時代に幸宏さんのことが好きすぎて、自分の机に彫刻刀で高橋幸宏と彫っていたらしいです(笑)。

吉村:下敷きに写真の切り抜きを挟むのは聞いたことがあったけど、彫刻刀っていうのはなかなか…(笑)。

高野:幸宏さんに憧れ続けた結果、今や白根くんは幸宏さんと鈴木慶一さんのビートニクスのサポート・メンバーにも抜擢されているし、幸宏さん本人からお墨付きをもらうのはすごいことですよ。

シンセの音に寄り添いつつ闘いを挑む

吉村:今回のYMCのメンバーは、皆さんYMOのメンバーと共演経験があるんですよね。

高野:そうなんです。一番若い網守くんも坂本さんの仕事を手伝っていますし。

吉村:『schola 坂本龍一 音楽の学校』という番組ですね。そう考えると教育テレビ、今のEテレってヘンですよね(笑)。そういうYMOの遺伝子が残っていて。

高野:NHKとYMOの親和性はすごく高いし、それによって全国津々浦々にYMOチルドレンが育ったことは見逃せない事実だと思います。僕自身もそうでしたから。80年代の地方と東京の情報格差はものすごくて、都内でも多摩地方と23区内ではだいぶ違ったと思うんです。

吉村:多摩地方の皆さん、すみません(笑)。

高野:たとえばギタリストの佐橋佳幸さんは中高時代に渋谷界隈にいることが多くて、渋谷のヤマハで佐野元春さんと知り合ったそうなんです。あと佐橋さんは、シュガー・ベイブのライブをリアルタイムで観ていたらしくて。佐橋さんと僕は3歳くらいしか違わないのに、片や浜松で育った僕はシュガー・ベイブの存在すら知らなかったし、どんなバンドでも電車賃とチケット代を払って東京までライブを観に行くなんて余程のことがない限りできませんでした。だからやっぱり、東京と地方では情報の伝達がまるで違ったんですよ。

吉村:石野卓球さんも言ってましたよ。「NHK-FMの『サウンドストリート』がなかったら知り得なかった音楽がいっぱいあった」って。あれは本当に通信教育みたいなものでしたからね。

高野:そうですよね。僕はYMOの通信教育で育ったチルドレンだと自負していますから。

吉村:ではこの辺でもう1曲かけましょうか。せっかくなので網守さんの曲を。

──網守将平「Climb Downhill 1」

高野:YMOの良い遺伝子を感じますね。

吉村:東京藝術大学の音楽学部作曲科卒業という先入観があるからかもしれないけど、坂本さんと通じるものも感じさせますね。

牧村:ちょっとしゃしゃり出ますが、網守くんは高校の頃にコーネリアスのファンで、コーネリアスの事務所を訪ねたこともあったそうです。藝大出身で坂本龍一さんの孫世代みたいな存在なんですが、同時にコーネリアスのファンであるという両方の側面を持っているんですね。網守くんは『schola』で作曲をする若い人たちの3人のうちの1人に選ばれたことで知られることになったわけですが、いま、藝大の出身の音楽家たちが面白いんです。

高野:網守くんのバクテリアコレクティヴというバンドのサポートも藝大出身の人が多くて、ceroのサポート・メンバーとも共通しているんです。

牧村:日本の音楽を引っ張っていく、その一人が網守くんだと思います。若き日の坂本さんとよく似ているんです。音楽でいっぱいで、着るものにさほど神経をつかっていないところが(笑)。

高野:いま聴いてもらったのは網守くんの『パタミュージック』というセカンド・アルバムで、ファースト、セカンドとわりと歌モノが多いんです。YMOの隔世遺伝を感じさせるインストもあるけど歌モノが多くて、言ってみれば坂本さんの『スウィート・リヴェンジ』や『スムーチー』を彷彿とさせるところがあるんです。網守くんとそんな話をしていたら、「坂本さんには『君は歌モノなんてやめてちゃんと現代音楽をやりなさい』と言われたんですけど、『坂本さんだって昔歌モノをやってたじゃないですか』と言い返したとか(笑)。そんなふうにはっきり主張する20代も少なくなりましたよね。今は何をするにも「〜させていただく」みたいにへりくだった人たちばかりだから。

吉村:YMCのバンドで当日演奏する曲目のプリプロを、高野さんと網守さんとゴンドウトモヒコさんがメインでやるそうですね。どういうアレンジになるのか今から楽しみですけど。

高野:まだイメージしかできてないんですが、初期のYMOのライブみたいなイメージを描いています。当時のYMOは決して自動演奏だけの音楽ではなく、コンピューターで鳴らしているシンセ音にセッションマンが寄り添いつつ闘いを挑むような演奏だったと思うんです。そんなふうに今回も、作り込んだシーケンスに名うてのミュージシャンが演奏を絡めていくことで、何か新しいサウンドができないかなと思っています。

吉村:そこにゲスト・ボーカルが次々と入れ替わりで絡んでくると。

高野:そうですね。まだ言えませんけど、実はシークレット・ゲストで出てくれる人が決まりまして。網守くんよりも若いミュージシャンなんですが、そこもある種の見所だと思います。

吉村:YMOのファンは察しが良いので、その辺にしておきましょうか(笑)。

(次回へと続く)

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