
サラリーマンの聖地・新橋。
私は「居酒屋友の会」の仲間とともに、新橋駅の烏森口を出た。
有志を募って昨年末に結成した「居酒屋友の会」。
コンセプトは、美味い酒とアテを提供し、店構えに古き良き趣があり、お財布に優しい〝名居酒屋〟を巡ること。たまには変り種も覗いてみたくなる。
今回訪問する店は、看板猫のいる名居酒屋。
サラリーマンの群れをのらのらとかき分け、烏森神社へ。
新橋の「烏森口」という名前はこの神社が由来。
烏森神社はなんと「癌祓い」にご利益があると聞く。
タレントの堀ちえみさんが参拝したことでも有名になった。

私は、ここの細い参道が好き。
参道の角には古い立ち飲み小屋があり、参道沿いに小さな酒場が軒を連ねている。
正面に烏森神社。左右奥と神社を囲む小路が続く。
これがまた猫が似合う小路で、歩いているだけで嬉しくなってしまう。
気分はクレージーキャッツの映画に出てくる新橋芸者役の団令子。
婀娜な島田髷に唇尖らし白足袋チラチラ足早に通り過ぎる。
私はいつしか昔の新橋にいる自分を想像していた。
「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが〜 猫が猫が 下駄履いて 絞りの浴衣で来るものか おっちょこちょいのちょい〜」
誰の端唄か知らねど、懐かしいお座敷うたを歌いながら、目指すは大きな提灯。
やって来たのは、猫好きが集う居酒屋「手まり」。
暖簾をくぐり、引き戸をガラガラと開けて、「あら、にゃんと!」
店のカウンターに2匹の看板猫がお出迎え。
細長いカウンター奥に小上がり座敷。
先に到着していた友人が大勢の猫たちに取り囲まれ、〝猫じゃ、猫じゃ状態〟。
まだ履物も脱いでいないのに、小上がりの縁で悶絶している。
「え、えええ? 一体全体、何匹いるの?」

そろいにそろった個性ある猫たちに取り囲まれたその姿。
それは江戸時代後期の絵師、歌川国芳が描く浮世絵のよう。
国芳は猫好きで知られ、東海道五十三次の宿場町を駄洒落で猫になぞらえた作品『猫飼好五十三疋』などを描いている。
早々に猫ちゃんズ攻撃に遭いグニャングニャンになってきたので、とりあえず酒とツマミをオーダー。我々は完璧に「手まり」の猫ちゃんズに包囲された。
店内を自在に行き交う猫ちゃんズ。
猫本来の魅力というのか、かなり精妙に人との空間を読み取っているのだろうか。
人の感情という懐にするりと忍び込み、スースーと寝息を立てて寝入っている。
「スキスキスー♪」と細川ふみえの鼻歌まで出てしまうほどに、人の心を武装解除させる。
なんというパラダイス!
猫カフェにありがちな「ようこそ〜、どうぞ可愛いでしょう〜」というあの押し付けがましさがない。仕事帰りに気軽に立ち寄れる酒場なのだ。
そんな素敵な店を営むのは、店名の「手まり」のように弾んだ温かい女将さんとギターや波乗りが好きな猫好きのマスター。
そして、十数匹以上もの猫ちゃんズがに気ままにいて、興が乗れば客の相手もしてくれる。
カウンターでは、若いサラリーマンが猫を眺めながら一杯やっている。
その横で猫と会話している女将さん。またその隣では猫を膝に乗せたカップルが幸せそうだ。
波乗り板の下に掲げられたギブソン好きなマスターのギターコレクションを眺めながら、膝乗り猫を撫で撫で会話する男性客の姿も。
友人と私は何匹もが重なり合って眠っている猫たち、誰が誰だか見分けのつかないおそ松くんみたいな猫たち、外にいる父猫「お父さん」とその「友達」に至るまで目を見張るも、ひぃ、ふぅ、みぃと、もう勘定しきれない。もう「これでいいのだー、ニャロメー!」と赤塚不二夫の漫画状態。
皆、猫の一挙一動にうっとり。そして何かを放念している。
私の膝の上にも、黒白靴下猫のコツブちゃんがのっそり座り込んで離れない。
膝の上の猫に気に入られたはいいが、トイレになかなか行けないという事もしばしば。
「手まり」猫ちゃんズは穏やかで皆お行儀がいい。客の食べ物を取らない。
皆血縁関係にあるようだが、子猫を生み続けた母猫もすごい。父猫は外にいる。
そもそも最初、店には猫がいなかったそうだ。地域ののら猫に餌をあげていた程度。
やがて店が今の場所に移転。前の店で世話していたのら猫がひょっこりやって来たそうだ。
以来すっかり看板猫となり、外猫、うち猫含め、この2年くらいで急激に増えて現在15匹とか。この界隈の地域猫のほとんどがこの「手まり」の奥の猫窓にやってきて、飯をもらっている様子だ。
そんな優しいおかみさんとマスターのお人柄が、料理にも店にも15匹の猫からも感じ取ることができる。やはり猫好きに悪い人はいない。

それにしても猫好きにとっては、なんと至福な光景だろう。
それは、今年の正月に見た古いフランス映画のワンシーンを想起させた。
ジャン・ヴィゴ監督『アタラント号』(1934年)の船内で戯れ回るあの猫ちゃんズの至福なシーンである。
すっかりパラダイスな気分で恍惚となって、気付いたら3時間くらい経っていた。
猫と酒飲みは相性がいい。
作家ヘミングウェーが愛した6本指の猫たち。
その昔一度だけ新橋でお見かけした池波正太郎も鬼平犯科帳に猫を出したほど。
中島らも、チャールズ・ブコウスキーも、猫と酒飲みはいいバディーだ。
会社帰り、一週間の終わりに「独り忘年飲み」も良し。
カウンターの止まり木で、猫と一杯。
誰かに愚痴るわけでもなく、酔いに任せて酩酊するわけでもなく、
猫と時間をともにするだけで実に心地よい。
まるであの猫背の丸みから何か幸せな光線でも発しているかのごとく。
ほっこり緩んで心も体もあったか気分。
カウンターで煮崩れた餅のようになっている猫に見送られすっかりほろ酔い気分の私だが、すれ違いざまに世まい言を読み取られた気がした。
「嫌なことは忘れちゃいニャ!」
忘却する時間も大事。そんな年の瀬である。 (女優・洞口依子)
