FC今治、「リアルサカつく」の経営戦略とは?中島啓太さんインタビュー(1)

Jリーグへの入会を決めたFC今治について、Qolyでは「サカつく」の宮崎伸周プロデューサーと共に「リアルサカつく」の実態に迫っている。

前回は矢野将文社長にお話を伺い、FC今治というクラブの全体像をお届けすることができた。

しかし取材はまだまだ続く。今回は、20代にしてクラブの経営企画室長を務める中島啓太氏に、FC今治がこの5年間で歩んだ軌跡や経営戦略などを聞いてきたぞ。

岡田武史との出会い

Qoly(以下略):中島さんはFC今治のトップパートナーであるデロイト トーマツ コンサルティング合同会社のご出身だとおうかがいしました。どのような経緯があって今治で働くことになったのでしょうか?

中島啓太氏(以下中島):私自身は四国にも愛媛にも今治にも縁はなくて、大阪で生まれ育ちました。高校、大学と海外に行って、卒業後に東京のデロイト トーマツ コンサルティング合同会社で5年ほど経営コンサルタントとして働いて今治に来たというのが大きな流れです。

岡田武史さんとの出会いが、今ここに私がいる一番の理由です。

私がデロイトに入社して1年目の終わり、2年目の頭ですから2013年から2014年に変わるくらいの時ですかね。ちょうど岡田さんがデロイトの「特任上級顧問」という外部アドバイザーみたいな職に就かれたんです。

そこで若手の勉強会ができて座長に岡田さんが座り、社内のメンバーが月1回15人くらい集まっていたんですが、私もそこに入れてもらいました。そこで初めて岡田さんと出会いました。

その勉強会を1年弱くらいやっていたのですが、その頃、2014年11月に岡田さんがFC今治のオーナーになるという話が出てきて。

その後、実際にオーナーに就任することが発表されました。すると、「岡田さんが掲げた夢を何としてでも応援しよう」とデロイトがトップパートナーとして支援するという話になったんです。

岡田さんが今治という地域でチームをほとんどゼロからスタートするということで、デロイトのコンサルタントを1年間常駐させ、FC今治のリスタートを支えるということになり、志願した私がそこに行くことになったんです。

初めて今治に来た日のことは今でも鮮明に覚えています。

ひょっとしたらみなさんも感じられたかもしれないですが、今治駅に降りた時に「何にもない」。不安のなか岡田さんのいる事務所までタクシーで向かう道中、誰一人として歩いてない。本当に数えたらゼロだったんです。

車は通るけど誰も歩いてない。正直、私はそれまでそんな街を歩いたことがなくて、「本当にここで岡田さんやるの?大丈夫?」と。

ほんと地方都市のイメージのど真ん中の町に来たなあと思いながら、事務所にお邪魔してみなさんにご挨拶し、そこから1年2か月、コンサルタントとしてお手伝いしました。

すると、一緒に仕事をするなかで岡田さん以外のスタッフ、ファン、この土地のこともすごく好きになりました。インスパイアされるものもたくさんあって、約1年のコンサルティング契約が終了した後にとりあえず東京に戻ったのですが、転職したいという想いに嘘はつけない自分がいることを改めて自覚しました。

そのまま岡田さんに連絡すると偶然近くにいらっしゃり、今からニューオータニのホテルのロビーでなら会えるとお返事を頂きました。そこで改めてビジョンに共感していることや「10年後、みなさんと一緒にJ1へ行きたい」という想いをお伝えしました。

でも最初岡田さんには「俺を悪者にするのか、お前は」と言われて(笑)。まあスポンサーさんから金銭的にも、そして人的にも支援して頂いて、最後にその人が転職したいと言い出したのだからそう思われても仕方ありませんよね。でも「岡田さん、すみません。」「そうか、お前がそこまで言うならしゃーねーな」という話で受け入れてくださいました。

やるしかなかったスタジアム建設の“使命”

宮崎伸周プロデューサー(以下宮崎):コンサルタントとして見てきたものと、中に入ってからの視点・ビジョンは変わりましたか?

中島:コンサルタントとは“第三者の視点”を活かして、クライアントの課題解決を支援する仕事です。一方で、オールリスクを自ら背負ってはいないという事実もあると思っていて。

当時私が感じていたジレンマは、それだけでは一番人生の面白い部分を感じられないのではないか、という事でした。第三者の次は”当事者”として、先の見えない世界にリスクを覚悟で飛び込んでいく。そのゾクゾク感・ワクワク感みたいなものをみんなと一緒に味わいたいと思い始めていました。

具体的にこれをやりたいという余裕は正直ありませんでした。

転職したのは2016年12月、岡田さんが今治に来て2年目の終わりですかね。ここにはまだ何もなかった。オフィススタッフも7、8人くらい、バックグラウンドもみんなばらばらでした。

なので「したい」というより、これをやらないとまずいということが次々とあって、その最たる例が、2017年9月にオープンしたこの「ありがとうサービス. 夢スタジアム®︎」の建設でした。

転職してきた2016年12月は、FC今治が四国リーグからJFLに昇格する事がちょうど決まった時期でした。

その時、夢スタの建設予定地ははまだ山でした。中心市街地から少し離れた場所にあるただの山を見せられて、ここに2017年9月までにスタジアムを建てます、建てないといけない、そして満員にしますと説明されました。

JFLでの戦いの準備をしつつ、将来J3へ上がるためには、スタジアムが必要でした。しかし、今治にはその場所がありませんでした。

じゃあJFLでは全試合を今治市の外でやるのか…つまりホームタウンで1試合もやらないままJ3を目指すのかというと、それは「ない選択肢」でした。

従って、松山市をはじめ、隣の西条市やもっと向こうの四国中央市、そして広島県と、2017年のJFLでの年間ホームゲーム15試合のうち10試合を今治以外で開催し、その間に夢スタを竣工させる。そして残りのシーズン終盤の5試合を夢スタで戦う、という選択肢を取りました。

なので、J3基準を満たす形で2017年9月までに夢スタを竣工させることが、当時の私が背負った仕事でした。

怖かったですよ。とにかくシーズン中の2017年9月にオープンさせて、満員にして、できたらそのままJFLを抜け切りたい。というのが当時、一番覚えている目の前の仕事でした。

宮崎:Jリーグは地元密着を掲げていますから、ホームで試合を見ていただくのは大事ですよね。

中島:夢スタが竣工するまでの10試合、毎回バスツアーとか自家用車とかでお客さんが今治から見に来てくれていました。本当に感動しました。しかし、より多くの人に応援してもらえるようなクラブにならないといけないというのは、みんなどこかで感じていたと思います。

夢スタの竣工をきっかけに、このバスツアーとか自家用車で来てくれている1000~2000人をなんとか5000人にもっていけないかと。

ホームタウンにこの夢スタが、今治で初めて天然芝のスタジアムができる。そこは「一生残り続ける場所」なんだと。

夢スタがオープンし、今までサッカーに興味なかった人にも来てもらう。2週間に一度のホームゲームが「祭りの場」になって、ここを基点に今治が少しずつ盛り上がっていくという絵をみんなで描いていたというのはありました。

そのために、もちろん地元に根差さないといけないというのはみんな痛感していました。

今できる事に全力を尽くす

宮崎:私も今治に来て、本当に通行している人がいませんでした。そこで、町にクラブのカルチャーが根差していくところの接触の仕方をどうやっていたのか、みなさんにうかがっているのですが。

中島:私もどうやったら人に会えるのかなと最初は思っていました(笑)。でも、当たり前ですけど車の中にしか人がいないわけじゃない。これはもう戦略云々とかそんなレベルではなくて、本当に「今できる事に全力を尽くす」っていうだけだと思いました。

精神論みたいですが、例えば私が今治で家を探すために不動産屋に行く。引っ越し業者の人に荷物を運びを手伝ってもらう。ご近所さんに洗剤を持って「引っ越してきました」とご挨拶し、料理は近所のお店に食べに出かける。

少なくても生きている世界において、何かしらの接点ができるわけです。

すると、今治は人懐っこい方が多いので「どこから来たん?」と聞いてくれたりします。そこで「こういう経緯で今治に来たんですが、もし良かったらいつか試合でも見に来てくれませんか?」と。当時、夢スタの建設予定地はまだただの山だったので、想像し難かったと思いますが、そんなことを延々とやるしかなかったですね。

それを10名のスタッフが1名100人ずつやれば1000人、30名の選手がやればそれだけで4000人がスタジアムに集まるはずです。その心構えを持っているかどうかが最初のスタートでした。

また、今治には「おんまく」という夏祭りがあります。そこではみんなで踊る場があるのですが、選手もスタッフもみんなで踊りを披露して優秀賞を獲るぞとか。

全体のことを考えつつも、自分たちが今、目の前でできる全力を尽くさないと、誰一人として動いてくれるわけがありません。そこで頑張れないのに、15万人の町全体のことを考えられるわけがないと。

今はどちらかといえば、ちょっと自分たちの力だけではリーチできない人たち、こういうメディアさんなどに協力していただいて、地元のテレビ局にちょっとした番組を作ってもらおうとかできてきましたが。

最初のゼロのところは「全力でがんばる」しかない。その気持ちをみんなで共有して、とにかく一歩踏み出せって状態でした。

岡田武史の“スゴイ”ところ

宮崎: それで一人当たり友達を何人作るみたいな話が過去のインタビューにあったんですね。

中島:はい。当時はみんな夜中まで働いて、「どうしたら人が来てくれるんだろうか」と頭を悩ませていました。

そんな時、岡田さんがふと「お前ら、今治に友達いるのか?」と聞いてきました。「外からきた俺たちが事務所にこもってここでどうこう言ってても無理だよ。お前らが自分で今治の街に出て行って友達を作らないといけない」と。

それから私も岡田さんもスタッフも、車の後部座席の窓ガラスにポスターを貼って走ったり、市役所にチラシを配りに行ったり、造船やタオル産業を中心に地元企業の朝礼や食堂でみなさんにご挨拶させていただいたり。

私個人でも、地元の方が集まるフットサルに行って、そこにはサッカー好きの子供が集まっているので「私、FC今治のスタッフなんですけど…」と話をしたりもしました。

自分たちが町に出て行かないといけないという気持ちを改めて確認して、それが噂の「友達作戦」になりました。

外から来た奴らがどんなに頭をひねったって何も変わらない。結局、人間と人間の付き合いで地域はできているので、動く気持ちを出す、人に会いに行く・話すってことでしか変わらないから、自分たちから動けということですね。

――そこは岡田さんらしいですよね。理論家のように見えますけど、「最後は根性」みたいな。

中島:はい。私が一緒に仕事をしていて岡田さんはすごいなと思うところは沢山あります。

例えば誰でも理想は語れますよね。だけど現実的にどう、この岩を動かせばいいかというところに関しては、圧倒的に鋭い解も岡田さんは持っていると思います。理想を語るだけ、現実にやるだけというのは簡単ですが、岡田さんは両方が同時に見えていると感じています。

岡田さんの話を聞くとみんな「スゲー」ってなりますが、それだけじゃなくて、現実的に動かさないといけないものの順番をきちんと岡田さんなりに把握していて、それを私たちみたいなスタッフに企業理念という軸を通した上で一生懸命伝える手段を持っていると思います。

その言葉は岡田さんなりのオリジナルの言葉なので、「あっ、もしかするとこうやっていけばいけるかもしれない」と私たちも鼓舞されます。

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