“記録係”が見つめる被災地の未来 長野市長沼を撮影して12年 「いつか復興の足がかりになれば」

特集は、浸水被害が広がった長野市長沼地区の現状と今後です。地区を12年に渡り撮影してきた「記録係」の女性がいます。映像には、古い歴史と豊かな文化が息づく長沼が残されていて、女性はいつか復興の足がかりになればと願っています。

長野市長沼地区を撮影する田中愛子さん

“記録係”として長沼地区を撮影して12年

獅子舞、文化芸能祭、桜づつみの植樹…被災前の長沼地区。映像は、活気に溢れています。撮影したのは田中愛子さん(75)です。

田中愛子さん:
「地域がすごく結束しているんじゃないかな。(撮影して)改めて長沼ってすごいと感じたところです」

田中さんは、長沼地区の出身。今は、浸水被害を受けた実家の片付けを手伝いに来ています。別の地区に住んでいますが、縁あって12年に渡り、長沼の伝統行事や公民館活動を撮影してきました。いわば地区の「記録係」です。

「使命感」・・・千曲川の堤防が決壊した直後も撮影

長野市長沼地区 10月16日 撮影:田中愛子さん

撮影は、あの決壊の後も…。

田中さんリポート:
「恐ろしい…」

撮影時は、大量の泥や建物の倒壊で地区に入るのもやっとでした。

田中愛子さん:
「使命感みたいな。あ、そうだ、撮らなきゃって」

最もショックを受けたのは「交流センター」の無残な姿。ここは田中さんの活動の拠点でした。

田中愛子さん:
「もう言葉にでない。信じられない感じでした」

被災前の長沼地区を伝える「貴重な財産」 12年間で200枚を超えるDVD

長沼地区の行事などを記録したDVD

田中さんが長沼を撮影し始めたのは2008年。60歳を過ぎてから愛好者グループで学んだ撮影の技術を生かそうと、公民館長に記録撮影を買って出たのがきっかけです。

田中愛子さん:
「飛び込みでね『ビデオ始めたばかりなんだけど撮らせてもらえませんか』って」

長沼交流センター所長・宮沢秀幸さん:
「これは渡りに船っていうか。いつ、この伝統芸能が消滅してしまうか、という危機感もありましたので。まず、記録することが後世のためになると思いまして」

以来、田中さんは撮影と編集をして、記録用のDVDを作ってきました。しかし、交流センターに保管されていた12年分のDVDは、あの濁流によって全て流されてしまいました。幸い、映像は田中さんの自宅にも残されていました。200枚を超えるDVDは被災前の長沼を伝える今や「貴重な財産」です。

映像には、古い歴史や豊かな文化が…

穂保・六地蔵町「伊勢講代参」 2011年 撮影:田中愛子さん

(2011年撮影)
葦や稲わらで小屋のようなものを作る住民。穂保地区の六地蔵町に江戸時代から伝わる「伊勢講代参」です。集落の代表に「お伊勢参り」をしてもらい、そのご利益をみんなで分かち合う行事で、参拝から戻った住民は用意された仮のお宮に入り、神様に代わってお神酒を受けます。最後、お宮が燃やされると、煙と共に神様は伊勢へ戻るのだそうです。かつては、各地で盛んに行われていましたが、今も残っているのは、全国で六地蔵町だけとも言われています。

田中愛子さん:
「雪のときもありましたし、そういう中で必ず続けてきたのは、地域の絆の強さじゃないかな」

行事をしていた場所は、一時、ごみ置き場になっていましたが、今は、再び空き地に戻っています。

六地蔵町の住民・関茂男さんが避難先から戻っていました。

(田中さんと関さんの会話)
「関さんにはDVDあげた? 伊勢講のDVD。それは大丈夫?」
「(浸水して)それは分からないな」

関茂男さん:
「お祭りだってなんだってみんな続けたい。続けようと思ってるんだけど、こういう状態じゃなかなか」

一方、こちらは六地蔵町の「屋台」の車輪です。

(2010年)田中さんリポート:
「屋台が通るのにギリギリの道幅です」

2010年の屋台巡行では、田中さんが密着撮影をしていました。車輪以外は倉庫の2階にあった為、無事でしたが…。

田中愛子さん:
「これは(水に)ついちゃったんだ。さびちゃう?」

長沼交流センター所長・宮沢秀幸さん:
「分解して直さないと、将来、動かなくなってしまうかも」

濁流で大切なものが・・・「ビデオが住民に勇気を」

濁流で長された太鼓を磨く住民たち

行事や祭りは、この先も受け継がれていくのか。田中さんは気がかりです。特に行く末を心配しているのが…。

(10月17日)田中さんリポート:
「社の姿が見あたりません」

決壊地点からすぐの守田神社は、濁流の直撃で跡形もありませんでした。被災前は延喜式の立派な社殿の前で、賑やかに例大祭が行われていました。

長沼交流センター所長・宮沢秀幸さん:
「ここは男獅子ですね。獅子頭が大きくて、所作も男らしく大胆」

長沼地区の4つの神社には、獅子舞の保存会が8つあり、田中さんはすべてを記録してきました。こちらは宵祭りの様子。実は、台風が襲った10月12日はこの宵祭りの日で、獅子舞も奉納されるはずでした。

田中愛子さん:
「今は、それどころじゃないから。半年とか1年とかたって落ち着いたら保存会の人に(DVDを)1枚ずつ差し上げる。本当に、戻してあげたいという感じです」

長沼交流センター所長・宮沢秀幸さん:
「いつになるか分かりませんけど、神社が復活して秋祭りを盛大にやるときは、ビデオが皆さんの勇気づけ、元気づけになるのでは」

そして、もう一つ...。

田中愛子さん:
「太鼓が1個残っている」

被災直後、四方の壁が濁流でぶち抜かれたホールに和太鼓がたった一つ、残っていました。かつて、そのホールでは…。地元の女性たちによる「長沼こまち太鼓」です。演奏は、地区の行事を盛り上げ、東日本大震災の被災地でも披露されてきました。濁流で流された太鼓はその後、45個のうち29個が見つかり、メンバーは活動再開の準備を進めています。

田中愛子さん:
「仮設に入ったり避難所にいたり。そういう人が、1日も早く長沼に戻って、また一緒に太鼓を打てるようになったらいいなと願っています」

今後も“記録係”として、被災地の未来を・・・

長沼地区を撮影する田中愛子さん

多くの建物が被災し、仮設住宅やアパートで暮らす住民も多い長沼。再びみんなが集う行事や祭りができることを願いながら、田中さんはこれからも長沼の「記録係」として撮影を続けるつもりです。

田中愛子さん:
「やっぱり(撮影を)続けていくつもりでいます。長沼は生まれ育ったところだから、元の状態に早く戻ってもらいたい。少しずつ、少しずつ」

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