人気の街、世田谷区が推進する、子育て支援策「世田谷版ネウボラ」とは?

福岡県田川市で、24歳の夫婦が1歳の三男をエアガンで数十発撃ち、三男はその後、死亡。また栃木県足利市では、交際している女性の息子である2歳の男児の胸に、スタンガンを押しつけた傷害容疑で無職の男(37歳)が逮捕されるなど、信じ難いほど凄惨な虐待の報道が続いています。被害児には、いずれも日常的に虐待が行われていた痕跡がありました。

虐待防止・対策の強化が、わが国にとって一刻を争う急務であることは間違いありません。

前回、「虐待防止と子育て支援はセットで行うべきである」と提言しました。

その理想的なモデルのひとつが、フィンランドの子育て支援である「ネウボラ」という制度。日本でもいくつかの自治体がネウボラを参考とした子育て支援を取り入れており、広まりを見せています。


若者から高齢者まで集う都心・世田谷区の子育て環境は

世田谷区は、人口91万人を超える大都市です。うち18歳未満の児童人口は約12万8,000人。出生数はこの10年は7,000人を超えて増加しており、また合計特殊出生率(ひとりの女性が生涯に産む子どもの数の平均値)も概ね増加傾向にあります。人口の転入は約6万9,000人、転出は約6万人(平成30年)と、転出入も活発です。

大都市でありながら、国分寺崖線に代表される樹林地や湧水池、農地など、23区のなかでも緑と水の豊かな街です。また三軒茶屋、下北沢、二子玉川など若者から高齢者まで多世代が集う活気ある商業地もあります。

そうした特徴を踏まえて、世田谷区は医療や地域と連携しながら、子育てにあたたかい地域社会を目指し、妊娠期からの切れ目のない支援「世田谷版ネウボラ」に取り組んでいます。

世田谷区では、区内に30ヶ所以上ある「おでかけひろば」をはじめ、子育て家庭やプレパパ・プレママが気軽に訪れることのできる場所が多くあり、マタニティヨガやベビーマッサージ、親子遊び等の各種イベントや子育て講座など、住民主体の子育て支援活動が活発で、医療機関も数多くあります。

区と地域と医療の連携を図る世田谷版ネウボラ

妊娠中や乳幼児を育てる時期は、さまざまな不安を抱えます。また児童相談所の調査によると、虐待を受けた子どもの年齢は0歳から就学前までの子どもが45.1%と高い割合を占めています。

平成27年5月に発足した「世田谷区妊娠期から子育て家庭を支える切れ目のない支援検討委員会」で、現代の子育てがしづらい社会環境では、誰もがどこかでつまずく可能性があること、すべての妊婦や子育て家庭を対象に、妊娠期からの切れ目のない支援の必要性が挙げられました。

そこでフィンランドのネウボラ制度を参考に、地域での子育て支援活動が活発であるという世田谷区の特徴を踏まえ、平成28年7月から区と地域と医療の連携による「世田谷版ネウボラ」に取り組んでいます。

世田谷版ネウボラとして、新たに実施されたのは、主に下記の2点です。

(A)妊娠期からの相談・支援体制
区内5ヶ所の各総合支所の相談窓口に、地区担当保健師・母子保健コーディネーター・子育て応援相談員からなるネウボラ・チームを設置し、妊娠期から子育て期の不安や悩みに対する相談支援を行なっています。ネウボラ・チームがすべての妊婦を対象に面接を行い、必要に応じて支援プランを立て、プランシートを作成します。

(B)子育て利用券の配布
産前・産後サービスが利用できる1万円分の子育て利用券を配布しています。世田谷区が提供する産後ケアサービスはもちろん、住民主体の子育て支援活動のなかにも子育て利用券が使えるものがあり、地域と繋がるきっかけ作りがなされています。

どこかの窓口に行けば必要な支援に繋げてもらえる連携支援

(A)のネウボラ・チームによる相談支援は、それぞれの専門性や活動圏を活かしたネットワークによる支援で、対象者すべてに妊娠出産に関する支援がなされるのはもちろん、個別に重点的な支援が必要な場合は、即座に行政のほかのサービスに繋げる体制も整えられています。

たとえば、失業や経済的な困窮があれば、生活支援が必要でしょう。うつ病などの既往があればメンタルケアに重点を置いた支援、DVなどの問題があれば生活全般を調整するような支援というように、行政の部署を横断した連携によってなされます。

困り事があるごとに、役所のいろいろな担当窓口を訪れ、おなじような相談を何度もするのは、特に妊産婦にとって、時間や体力の面でも負担なもの。

しかし世田谷区では、どこかの窓口に行けば、必要な支援に繋げることができるように、連携を強化し、妊産婦にとって心強い体制を整えようとしているといえるでしょう。

プランシートの活用で妊産婦のセルフケアや家族へもアプローチ

妊娠期面接で作られる支援のプランシートには、まず体調や仕事、気持ちについて、現在の状況と今後の予定、子育てに関する意向を書く欄があり、ネウボラチームが直接、話を聞いて、できるだけ妊婦さん自身の言葉で書き入れるようにしています。

そして、妊娠初期・中期・後期、そして産後と、各時期について①「セルフケア(産前産後の体調管理)」②「ご家族の方へ」③「プラン」で構成されています。

①「セルフケア」では、妊娠したばかりのとき、特にはじめての妊娠ではまだ想像しづらい、今後の心身の変化と、その対応を知ることができます。

筆者への相談においてよく聞かれるのは、妊娠中や産後、夫・パートナーへ「こうしてほしい」と思っても、なかなかうまく伝えられない。子育てで心身ともに疲れ切っていたり、産前産後のホルモン変動による心身の不調だったりで、夫・パートナーに要望を伝える余力すらなくしんどい。妊産婦の「言わなくても、自ら察し率先して動いてほしい」気持ちと、「言ってくれなければわからない」夫・パートナーとのすれ違いから夫婦の溝が深まっていくという事例も見られます。

しかし、②「ご家族の方へ」には、時期に応じて、夫・パートナーらがすべきサポートや、話し合っておくべきことが書かれていますから、このシートを家族内で共有しておくことで、妊産婦の負担を軽減し、夫婦・家族間の摩擦を防ぐこともできるでしょう。

③「プラン」には、世田谷区の支援プランとして「子育て応援メニュー」が紹介されています。妊娠届け時に母子健康手帳とともに渡される「子育て応援ブック」に詳細が書かれており、プランシートにはその参照ページが記載されていますから、調べるのに手間取らずに済みます。

なおシートはA6版で、母子健康手帳に挟んでおくことができます。紛失する心配も少なく、普段から目を通しておくことはもちろん、いざというときにも、さっと手軽に参照することができるでしょう。

愛知県豊田市の三つ子虐待死事件では、市の支援としてファミリーサポートの利用を紹介されたものの、階段のないマンションの4階にある自宅から、三つ子を連れて、登録のために外出することが困難で、利用には至っていませんでした。

そのような事情でなくとも、産前産後の多忙を極めるなか、支援について調べる手間や手続きの煩雑さから、前段階でつまずき、支援を受けたくても受けられていないケースもあるでしょう。

世田谷版ネウボラでは、そうしたことを防ぎ、必要な支援へと着実に繋げるよう努められています。

子育て世代以外の世代も含めて、子育てを応援

妊娠期面接後のアンケートでは、84.7%の利用者が満足したと回答しており、下記のような声が聞かれています。

・丁寧な説明と困り事の相談ができ、気持ちが楽になった

・妊娠について人と話すことがあまりなかったので楽しかったし、ためになった

・妊娠中の不安やマイナートラブルについても相談しやすかった。相談できる場所があるのが心強い

世田谷区で出産した女性の9割が妊娠期面接を受けており、また子育て利用券も地域の子育て支援団体のサービスの利用が徐々に増え、地域の繋がりが向上していることがうかがえるといいます。

地域では、親子が気軽に立ち寄ることができる「おでかけひろば」の中など、区内6か所に「地域子育て支援コーディネーター」が配置されており、研修を受けたスタッフが相談者に寄り添いながら、生活に密着した地域の民間情報や公的な支援情報などを提供しています。

さらに、この地域子育て支援コーディネーターとネウボラ・チームが緊密に連携することで、たとえば、家庭内の状況に多少の不安はあっても、必要な支援の案内をしながら地域の中で見守れる家庭もあります。

各医療機関では、妊婦健診や乳幼児の健診、予防接種など地域でかかりつけ医として母子の健康管理をする中で、支援が必要な子育て家庭への支援や区のネウボラ・チームを紹介するなど、専門的な立場から子育て支援を担っています。

ネウボラ・チームが直接訪問しての情報交換など、個別支援に限らず顔の見える関係づくりに努めています。専門的な支援は専門職が、また身近な支援は身近な地域でという分担が可能になり、よりきめ細かな支援ができます。

「ネウボラ・チームの相談支援体制の強化とともに、子育て支援事業も拡充し、必要な人を支援に繋げてきたことから、妊婦や子育て家庭が孤立することなく、安心して子育てのできる社会へと着実に近付いていると感じています」と、世田谷版ネウボラの担当者は語ります。

今後の展望は「世田谷版ネウボラの実施によって、ほとんどの妊婦と接点を持つことができるようになりました。妊娠期面接の利用者アンケートの結果を踏まえた、母子保健コーディネーターへの研修内容の見直しなどを行い、さらなる向上に努めたい」とのことです。

目下の課題は、地域全体としての世田谷版ネウボラの認知度を向上させること。子育て世代以外の世代も含めて、子育てを応援する気運や、区と医療、地域のネットワークを構築することで、妊娠期から子育て家庭を地域全体であたたかく見守る社会の実現を目指しています。

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