【明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年】 No.206

▲兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑(大阪市)

(12月11日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

手術

 益次郎が入院中、寝食を忘れ一心に看病に努めたのが、楠本イネとその娘であるタカ、そして、タカの夫である三瀬諸淵であった。

 イネと諸淵は、かつて益次郎の門人であった。

 また、イネは、1862(文久2)年から1866(慶応2)年まで長崎においてボードウィンから産科の指導を受けていた。

 10月27日、益次郎は、右大腿を中ほどから切断する手術を受けることになった。執刀者はボードウィン、助手は緒方惟準である。

 「兵部大輔容体遂日順快に押移候共、症(傷)口膿を醸し、腐敗衰弱に加り、ボードイン切断の外、活路無之旨申出在東京根(本)省京都、大阪三省合議の上決定可致の処、切断暫時も猶予ならずのことにて、河田(権大丞佐久馬)、林(権少丞謙藏)、原田(兵部権助)三人立台の上、午前十時切断に取りかかり、八分時間にて手術相済候事」

 一刻の猶予もならない、そんな状況の中、益次郎の手術が行われた。

 術後は疼痛も無く、一時は良好に見えた。

 「諸症穏静、言語常のごとし」  だが、この手術もすでに手遅れであった。

(続く。次回は12月25日付に掲載します)

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