やまゆり園事件考 公判に向けて(1)「関係ない」風化に拍車

日本障害者協議会代表 藤井克徳さん

 県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者と職員計45人が殺傷された事件の公判が、来年1月に始まる。事件が私たち一人一人、そして社会に問うものとは-。公判を前に、さまざまな分野で活動する人々へのインタビューから考える。

◆日本障害者協議会代表 藤井 克徳さん

 やまゆり園事件から3年半。障害者に対する被告の差別的な考えに社会は震撼(しんかん)したが、風化が加速度的に進む。視覚障害者でNPO法人日本障害者協議会代表の藤井克徳さん(70)は、障害者問題について人々には自分と縁遠く、無関係との意識があり、「内なる差別」が内在すると指摘。「障害者が置かれている状況が障害者観をつくる」として、平等な暮らしや共生社会の実現に向けて政策的な手だてを訴える。

 事件の風化が明らかに早い。障害のない人の事件であれば、こうはならなかったのではないか。

 背景には、一般的に存在する障害者への独特な見方がある。「一般的に」とは、重い障害なら施設入所も仕方ないとか、精神科病院への社会的入院はやむを得ないといった見方と通底する。能動的・積極的な差別ではないが、「焦点を当てても得るものはあまりなく、放っておこう」という消極的な差別意識が社会に見え隠れする。

 事件後の2017年に大阪府寝屋川市の自宅で両親に約16年間監禁された女性が凍死するなど障害者の座敷牢(ざしきろう)状態が見つかったが、報道で取り上げられても議論が深まることはない。18年に表面化した障害者の水増し雇用問題も本質は数字のごまかしではなく、官製の障害者排除だ。旧優生保護法下での強制不妊手術問題もレベルの低い一時金支給法の施行で幕引きに近い状況にある。

 やまゆり園事件を機に、この国は変わらなければならなかった。しかし、事件後も毎年のように障害者に関する大きな問題が起きたが、深い言及がないまま加速度的に遠ざかった。社会が本格的に事件と対峙(たいじ)する構えになっていない。

 「障害者問題は自分と縁遠い」と考えるのは、一種の思い込みではないか。19年版の障害者白書によると、障害者は963万人。強度の難聴や弱視、発達障害などは入っていない。高齢認知症は推定600万人で合わせると1560万人を超え、人口の12.4%になる。数字上は「少数者」と言えない。

 やまゆり園事件と、座敷牢の発覚、水増し雇用問題などには三つの共通点がある。基本的には優生思想が背景にあること、無抵抗状態の者が被害を受けたこと、不可逆的な被害だ。やまゆり園事件で言えば(被告の考えは)優生思想に近い。職員を除く被害者はほとんど無抵抗状態だった。そして、命は返ってこない。

 相似形のように「小さなやまゆり園事件」はずっと続いている。にもかかわらず、こうした事件が「障害者だから仕方ない」という見方と根っこは同じではないかとの言及が少ない。人々の底にある「私とは別だ」という意識にも左右されながら、社会全体がそこに乗っかってしまっている。

 ふじい・かつのり 東京都立小平養護学校(現特別支援学校)の教諭を経て、日本初の精神障害者の共同作業所などの活動に従事。共同作業所の全国組織「きょうされん」専務理事。

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