【やまゆり園 事件考】 公判に向けて(7)社会全体で支え合う

横浜国立大教授 江原 由美子さん

 フェミニズム研究の第一線に立つ横浜国立大の江原由美子教授(67)は、やまゆり園事件の後、障害者の母親に「育てる覚悟」を強いる声があることに衝撃を受けた。女性の多くに子育てや介護の負担を担わせる性別役割分業から転換し、社会全体で支え合う意識こそが一人一人の尊厳を守ると説く。

 事件に対するネットの反応を見て驚いた。障害者を排斥する被告に賛同するだけでなく、「施設に預けるのが悪い」「障害者を産むなら最後まで面倒を見ろ」と、母親を責め立てる声があったからだ。

 「産んだ責任は母親にある」とのロジックは、子育てを女性にだけ強いて「障害者を育てる覚悟がないならば産んではならない」と脅しているに等しく、時に「子どもを『品質管理』しなければならない」との意識を抱かせるほどに女性を追い込む。それは優生思想の正当化に通じ、障害者の生きづらさや生存否定にもつながる。

 (妊婦の血液でダウン症など胎児の染色体異常を調べる)新型出生前診断では、異常があると分かった9割が人工妊娠中絶を選んでいる。果たして彼女たちは自分の意思だけでその選択をしたのか。「産まない」決断を導いている社会構造に目を向けず、女性のみに責任を押し付けてはいないだろうか。

 女性は、いまだに多くの負担を強いられる家事育児労働や、家庭との両立が困難な職場環境、子育ては母親の役割という周囲のプレッシャーの中に身を置く。一方で、「男は弱みを見せられない」と、子どもの疾患を職場で明かさない男性もいる。ただでさえ女性が子を育てながら経済的に自立するのが困難な中で、障害児のケアを一手に引き受けることは並大抵のことではない。

 子どもの障害に起因する母子心中や胎児の障害を理由にした中絶などを巡り、女性運動と障害者運動の主張は、かつて対立した部分もあった。

 戦中は避妊も禁止され、意思に反した結婚や性行為、「闇中絶」により身体が傷つけられた女性にとって、生殖の自由は重要な権利。一方、命は障害の有無で切れるものではない。このはざまで、多くの女性が悩み続けている。

 現在では、旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る裁判などで、女性運動体と障害者が手を取り合っている場合もある。子どもを産むかどうかを自ら決める権利は誰にでもある。その一人一人の意思決定を侵害する国家の態度にあらがおうと、対立から共闘の道を模索している。

 子育ての責任が個人にのしかかる現状は、「責任を負えない」との不安を女性たちにもたらし、中絶に踏み切らせている現実もある。自分がいつケアされる側に回るかは誰にも分からない。子ども、障害者、高齢者のいずれもケアする責務を社会全体で負っていく必要があるのではないか。

 「産んだあなたの責任」と女性たちが責められないために。また、障害者が生存を否定されないために。

 えはら・ゆみこ 横浜国立大都市イノベーション研究員教授。神奈川人権センター理事長。著書に「女性解放という思想」(勁草書房)、「自己決定権とジェンダー」(岩波書店)など多数。「フェミニズム論争─70年代から90年代へ」(勁草書房)などの編者を務め、フェミニズム理論に功績を残す。

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