元祖ゴスロリ「ストロベリー・スウィッチブレイド」花とリボンと水玉衣装 1986年 3月10日 ストロベリー・スウィッチブレイドが来日公演を中野サンプラザで開催した日

花とリボンと水玉の頃、ストロベリー・スウィッチブレイド

花とリボンと水玉のあの頃-- 「コンサートやライブに行く時は、その演者に精一杯のリスペクトと愛を込めて着飾るのが礼儀」と母から教育され、それを信じて若い時から実践してきた。

1986年3月、私と友人はダンス用品専門店で試着を繰り返していた。ストロベリー・スウィッチブレイドのコンサートに着て行く衣装を探すためだ。

友人曰く「あれはどう見てもフラメンコの衣装だから買った方が安上がり」と提案され半信半疑で店内を見ると、確かに水玉だらけ!花だらけ! キラキラとヒラヒラの宝庫だった。ベテラン店員さんに雑誌の切り抜きを見せると、あっと言う間にコーディネートが完成。

長身の友人はジル役、私はローズ役だからスカートをミニに丈詰めし、花とリボンと水玉の衣装で中野サンプラザのストロベリー・スウィッチブレイドの来日コンサートへ向かった。

いたる所でかかりまくっていた「ふたりのイエスタデイ」

会場には同じ様な格好の女子は多数いたが、こちらは流石ダンス専門店のフラメンコ担当の見立てだから迫力と動いた時のシルエットが格段に違う!友人と高揚感に包まれながらほぽ満員のコンサートは MELON の前座から始まり、いよいよストロベリー・スウィッチブレイドが登場。

ローズは私より小柄で、雪の様に白く折れそうなくらい細かった。ジルは綺麗な赤毛で、ギターを抱えた長い手、足がスラリとした長身。

1時間足らずのコンサートで、お馴染みのホルンの音が鳴り響くと会場の皆が横に揺れだした。もちろんローズもジルも横にゆっくり寄せては返す波のように揺れて「ふたりのイエスタデイ」を演奏した。当時ビジュアル先行型で雑誌に載りまくり、いたる所でかかりまくっていたあの曲だ。

グラスゴー出身でラモーンズを観てバンドを結成したというローズは、ジルとクラブで仲良くなりガールズバンドを結成。当初4人だったメンバーのうち2人がやめて、彼女たちと交流のあったバンド、オレンジジュースのメンバーに “ストロベリー・スウッチブレイド(苺の飛び出しナイフ)” と命名され、楽器を覚え、曲作りに専念しデビュー。しかし、活動期間はわずか2年足らず。正式アルバムは1枚だけだが、とにかく日本での人気は凄かった。

彼女たちはプロモーションで数回来日したほか、CMタイアップもあり、86年にコンサートで来日。しかし、ほぼ満員御礼の日本のコンサートを終え、ほどなくして解散した…。

アン・ルイスも影響を受けた元祖ゴスロリ?

実はコンサートを観る前から、なんとなく解散の予感があった。

プロモーション来日を重ねるうちに、以前は双子みたいに統一性があった彼女達が段々とトレードマークの水玉を着なくなり、まったく違うファッションになっていったからだ。

花も飾らず、リボンも付けず、格好もボンデージルックのローズと、タフタのドレスにティアラを付けるジル。まったくノリソリが違う。だから解散の報を聞いてもあまり驚かなかった。

でも、たとえ活動期間は短くても彼女達の残した影響は大きい。たとえば、今では元祖ゴスロリとされているビジュアル面で、アン・ルイスは相当早くから影響されたと公言している。

また「ふたりのイエスタデイ」をカバーするアーティストは男女問わず後を絶たない。唯一のアルバム『ストロベリー・スウィッチブレイド』プロデューサーのデビッド・モーションに Chara や遊佐未森をはじめとするアーティストがプロデュース依頼をしているところを見ると、やはりあのキラキラした懐かしさと、高揚感がいっぱいなのにどこか切ない歌に魅せられたからと思える。

ちなみに一緒にフラメンコ衣装でコンサートを観に行った友人は水玉衣装が着たくてフラメンコダンスにはまり、遂にスペイン語を習い現在スペイン在住。今はホアキン・コルテスに夢中だ。

花とリボンと水玉にまみれたあの日… まさに永遠の「ふたりのイエスタデイ」

カタリベ: ロニー田中

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