箱根も席巻! なぜ「ピンク厚底シューズ」は好記録を連発するのか? 走りの専門家が解説するメカニズム

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2017年、ナイキが「厚底シューズ」を発表して以降、世界の陸上長距離界はこのシューズなくして語れなくなった。“駅伝王国”日本も例外ではなく、お正月の風物詩となった、箱根駅伝でも厚底シューズが席巻している。ブームから定着、好記録、勝利の前提条件とさえいわれるようになった厚底シューズの何がスゴいのか? ランニングコーチの細野史晃氏に走りのメカニズムという観点から解説いただいた。

(解説=細野史晃、構成=大塚一樹【REAL SPORTS編集部】、写真=KyodoNews)

次々と記録を塗り替える革新的なシューズ

2017年、アメリカ・ナイキ社が5年の歳月をかけて開発した『Nike Zoom Vaporfly Elite』が発表された。「マラソンは上半身が9割」などの著作を持ち、物理や解剖学、生化学などの観点からランニングフォームを科学的に解析しているランニングコーチ、細野史晃氏は、このシューズ発売に際して「速く走るためのツールとしてのシューズが誕生した」と微かな興奮を覚えたという。

「ヴェイパーフライは、物理と解剖の観点からランニングフォームを分析して作られたシューズだということが画期的でした。単なるランニングシューズではなく、夢の2時間切りを目指すキーファクター、それに必要なテクノロジーを詰め込んだシューズなのです」

ヴェイパーフライ・エリートの登場と時を同じくしてナイキ社はフルマラソン2時間切りを目指す「BREAKING2」プロジェクトのスタートを発表。2017年5月6日には、現世界記録保持者、エリウド・キプチョゲ(ケニア)がイタリアのモンツァで非公式ながら2時間00分25秒という驚きの記録をたたき出した。

「BREAKING2」にチャレンジしたキプチョゲは、2018年のベルリン・マラソンで2時間1分39秒の驚異的な記録で優勝。2019年には記録達成に特化した非公式コースで人類初の2時間切りとなる、1時間59分40秒2を記録した。ここまでならキプチョゲの“怪物性”で説明が済んでしまうのだが、2019年のベルリン・マラソンではケネニサ・ベケレ(エチオピア)が歴代2位となる2時間1分41秒を記録。その後も両足にヴェイパーフライという翼を得たランナーたちが続々と自己記録を更新し続けたことから、「厚底シューズ」に大きな注目が集まった。

日本人選手でも世界のトップ選手に倣い厚底シューズを履いた設楽悠太(ホンダ)が2018年の東京マラソンで従来の日本記録を5秒更新する2時間6分11秒を記録。この8カ月後には大迫傑(ナイキ)がシカゴ・マラソンで2時間5分50秒とさらに日本記録を更新するなど、「厚底効果」が目に見えて表れた。

「厚底的走り方」にいち早く取り組んだ東洋大

世界を席巻しているナイキの厚底シューズだが、そのうねりは日本の年始の風物詩、箱根駅伝にもやってきている。「厚底VS薄底」、さらに進んで「厚底にあらずは・・・・・・」という流れができている2020年の箱根では多くの有力選手が厚底シューズで決戦に臨むことが予想される。

「2018年、とある大学が、箱根駅伝の山登り区間を除くすべての区間でナイキのヴェイパーフライを着用しました。いち早く厚底シューズのもたらす効果に気がついたこの大学は、翌2019年、往路優勝という結果を得ました」

細野氏が例に挙げたのは史上最高レベルの激戦と噂される2020年の箱根駅伝でも優勝候補に挙げられている東洋大学。

2009年、32歳の若さで監督に就任した酒井俊幸監督は、山の神・柏原竜二、元日本記録保持者の設楽悠太、東京オリンピックマラソン代表の座を射止めた服部勇馬などを擁して2009年、2010年の連覇を含む黄金期を築いた。その後にやってきた「青学一強時代」に、東洋大再興を見据えて厚底シューズへの適応を促したのだ。

「1年生や2年生を中心としたチーム作りをするのは、先を見据えた常套手段ですが、酒井監督はヴェイパーフライを“履きこなすこと”を選手に課しました。これはヴェイパーフライが選手の走りを変えることにいち早く気がついたからではないでしょうか」

いわゆる「厚底シューズ」を履くとなぜか記録が伸びる。後付けでヴェイパーフライを「履かないわけにはいかない」と乗り換える選手はいたが、酒井監督は「ヴェイパーフライに合わせた走り方=理に適った記録の出せる走り方」だということにいち早く気がついていた可能性が高いという。

「これまでのランニングシューズが薄底のものばかりだったことから、厚底かどうかにばかり注目が集まりますが、ヴェイパーフライをはじめとする“厚底シューズ”は底が厚いこと以上に速く走るためのランニングフォームを引き出す効果があるのです」

物理学、解剖学の専門家が弾き出した「最速」への回答は効率的な重心移動を可能にするシューズだった。

ここからは細野氏の言葉を中心に、厚底シューズのメカニズムについて解説を進める。

速く走るためには斜め上方向への重心移動が必要

「走るという動作は『重心移動を連続して行う動作』です。歩きとの大きな違いは、重心移動の最中に両足が離れる瞬間があるということ。つまりバネのように弾む動きが必要になります。これは短距離でもランニングでも同じ。走りは体をバネのように使いながら前への推進力を得る運動なのです」

ここで問題になるのが、細野氏のいう「バネ」の方向。上に弾んだのでは前に進む力は得られず、前方に進もうとすると「バネ」の推進力が消えてしまう。

「まっすぐ前方(水平)ではなく、わずかに上方向に向かって跳ねる。斜め上に跳ねるように進むのが正解です。これは自然界にはかならず重力が発生しているから。ボールを投げると放物線を描いて飛んでいきますよね。あれと同じ原理で、前方に進むだけでは重力の影響で運動エネルギーが徐々に地面に向かって落ちて行ってしまうのです」

ヴェイパーフライは、このバネの方向を姿勢づくりから手助けしてくれている。

「ヴェイパーフライの一般向けシューズ、ズームフライが先行発売されてすぐにこのシューズを試着したのですが、前に軽く体重をかけるだけで重心が理想的な位置に来るのを体感しました。それまでは、かかとが沈み込まず、前足部に体重が乗りやすいシューズならどのシューズを履いても同じと思っていたのですが、ナイキの厚底シューズはまったく感覚が違いました」

ヴェイパーフライをはじめとする「厚底シューズ」は、従来の薄底シューズとどこが違うのか?

「まず特徴的なのはシューズ全体がスプーン型の構造になっていること。これが身体を斜め上に送り出す機構を実現しています。かかととつま先の高低差、ドロップの角度がつくことで、履いている人が意識せずとも自然に前傾姿勢になるのです」

厚底シューズの機構は、短距離用のスパイクシューズと同じ

ナイキの厚底シューズは、速く走るための理に適った身体の使い方ができるシューズというわけだ。しかし、陸上界という視点で見ると、この機構を採用したシューズは実はお馴染みのものだという。

「これって短距離用の陸上スパイクと同じ理屈なんですよ。短距離のスパイクは底面に突起のある前足部を使って走ることを前提に作られています。ソールは硬く、反発力を得るためのドロップもきつく作られています」

しかし、短距離用のスパイクは薄底。厚底シューズとは似ても似つかない。

「短距離用スパイクはたしかに薄底です。短距離ではかかとを着く瞬間がないので、ソールのクッション性を配慮する必要がない。しかし、長距離ではある程度のクッション性も必要になります。ソールの硬さとドロップの高低差を追究した短距離スパイクの機能を維持したまま、長い距離を走るためにソールを厚くした。ただこのままだと、クッションが効きすぎてバネが消えてしまうので、カーボンプレートを入れることで反発力を補強しているわけです」

短距離用のスパイクに長距離を走るためのクッション性能を追加し、それで失われるバネの作用をカーボンプレートで補う。ヴェイパーフライの特長である「厚底」も「カーボンプレート」も副次的なもので、速く走るための動きを突き詰めた結果でしかないと細野氏は言う。

「現在、マラソンで好記録を出している世界のトップ選手は、ほぼ全員かかとをつかずに走っています。日本の長距離界では長い間、かかとをついて走るのが正しいランニングフォームだという間違った常識が定着していました。しかし、世界のトップランナーの軽やかで伸びやかな走り方を物理学と解剖学の観点から紐解いたナイキのサイエンスチーム、ヴェイパープラスの登場と成果で、長距離でもかかとをつかない“短距離的な走り”が有効だということが証明されました」

上半身のリズムを生かして体全体を上手に弾ませて前に進ませるような走りをしている世界のトップ選手の走りを最大限に活かし、人類未到の2時間切りを目指そうというナイキの挑戦は、まさに速く走る理屈を突き詰めた結果。ヴェイパーフライを着用した日本人選手の記録が伸びていることからも、この走りのメカニズムは人種を問わず有効だということがわかる。

「物体は高いところから落ちたほうがより大きく弾み、そして遠くに到達します。キプチョゲをはじめとするスピード豊かなトップ選手たちは、物理的にも理にかなったフォームで走っているんです」

今年の箱根はシューズよりフォームに注目

世界規模でセンセーションを巻き起こしたヴェイパーフライシリーズは、それまでにない斬新な見た目から「厚底シューズ」と総称され、ソールの厚さやカーボンプレートがフィーチャーされがちだ。しかし、厚底もカーボンプレートも「速く走るための理にかなったフォーム」の副産物であり、目を向けるべきはフォームにある。

「実際に、ミズノは従来までのような薄底ソールで、スプーン状のカーボンプレートを備えた『WAVE DUEL』シリーズを発表しています。ミズノはこのシューズのコンセプトを『まるで陸上短距離スパイクのスピード感』としていて、これはここまでお話ししてきた走りのメカニズムと通じるものがありますよね」

アシックスからは走行効率を求めた厚底シューズ『METARIDE』、『GLIDERIDE』シリーズがリリースされていて、厚底、薄底、トップ選手、市民ランナーにかかわらず、「速く走るためのメカニズムを再現するシューズ」という流れは今後ますます加速していきそうだ。

「箱根駅伝ではここ数年、『有力選手が厚底シューズを履いている』、『あの大学はチームで厚底を採用している』なんてことが話題になってきましたが、今年あたりからはもう厚底か非厚底かではなく、厚底を履きこなしているかどうか? もっと言えば、厚底でも薄底でも、ヴェイパーフライの開発時にナイキのサイエンスチームが解明したような、より速く走るためのランニングフォームを身につけているかどうかが鍵になってくると思います」

昨年12月22日に行われた全国高校駅伝でもナイキ製の進化したヴェイパーフライ、ピンク色の『ヴェイパーフライ・ネクスト%』の占める割合の多さが話題になったが、今年の箱根路では有力選手の多くがピンクのシューズを着用することが予想される。今年のニューイヤー駅伝でも、ほぼ全員と言っていいくらいの選手がヴェイパーフライを着用した結果、多くの区間新や大会新が続出。細野氏は、「選手がヴェイパーフライ登場から数年をかけて正しい走り方を身につけた結果」とこの変化を分析している。

厚底が当たり前になった今年の箱根では、足元だけではなく選手一人ひとりの走り方に注目してみてはどうだろう?

<了>

PROFILE
細野史晃(ほその・ふみあき)
Sun Light History代表、脳梗塞リハビリセンター顧問。解剖学、心理学、コーチングを学び、それらを元に 「楽RUNメソッド」を開発。『マラソンは上半身が9割』をはじめ著書多数。子ども向けのかけっこ教室も展開。科学的側面からランニングフォームの分析を行うランニングコーチとして定評がある。