書き初め60年「生きた証し 家族で一文字ずつ 歴史刻む

長崎・上戸町の本多さん

© 株式会社長崎新聞社

約60年続いた家族書き初めを広げ、最後に書いた「楽しいお正月」を手にする本多裕子さん=長崎市上戸町3丁目の自宅

 1950年代から約60年間、1月2日に書き初めを続けた家族がいる。「東京オリンピックの年」「所得倍増初年」「長崎干拓初年」。その年を象徴する言葉を父親が選び、家族が一文字ずつ筆を執った。元県職員の本多俊次さんが5歳のときに始まり、66歳で他界する2017年まで続いた。孫まで集まりつづった最後の言葉は「楽しいお正月」。妻裕子さん(68)=長崎市上戸町3丁目=は「家族の生きた証し」と大切に保管している。

 「家族書初始」-。大きさも特徴も違う文字が並んだ書き初めは1957年1月2日、旧南高加津佐町(現南島原市)で俊次さんの父、正次さん=当時(40)=が始めた。書いた文字の横に小さく名前と年齢を添えた。
 正次さんは戦後、朝鮮半島から引き揚げて間もなく1歳半の次女を亡くし、長男正典さん=当時(9)=も心臓病で寝たきりだった。「先は長くない。生きた証しを残そう」。こんな思いが込められた家族7人の書き初めに、5歳の次男俊次さんは手形で参加した。
 翌58年は「地球本観測年」、59年は「皇太子御成婚」。正典さんは3回つづった後、短い生涯を終えた。
 書き初めは喪明けの61年に再開された。ソ連のガガーリンらの宇宙飛行を受け62年は「人工衛星初乗」。日韓基本条約が結ばれた翌年は「日韓新時代の年」。世界の歴史を書き留めた。
 俊次さんは児童福祉を学ぶため東京の大学に進学した。友人には「1月2日は帰らないといけない」と話して毎年帰省したという。
 大学卒業後は児童自立支援施設、県立開成学園や佐世保児童相談所などに勤務。児童福祉に情熱を注いだ。父親の介護のため55歳で早期退職したが、介護を終えると、2009年から西海市のスクールソーシャルワーカーとして仕事に復帰した。
 だが16年11月、膵臓(すいぞう)がんが見つかり、「余命半年」と宣告を受けた。年明けの書き初めに、俊次さんが用意した言葉は「楽しいお正月」だった。娘や孫ら3世代が集まり、俊次さんは「楽」の文字を選んだ。横には名前と年齢に加え「膵癌(すいがん)討病中」と書き添えた。8歳の孫は文字と手形、2歳の孫は足形を押して、書き初めを完成させた。
 裕子さんは言う。「夫が『楽しいお正月』で締めくくった。家族書き初めはこれで完結しました」
 これまでの作品は約70点に上る。19年10月の三回忌では自宅の居間や廊下に32点を展示した。思い出に囲まれた家族や親戚はくつろいだ雰囲気に包まれ、裕子さんは「家族を結びつける力を書き初めに感じた」と振り返る。
 今年は56年ぶりに東京五輪・パラリンピックが開催される。裕子さんは書き初めを手にこう思う。「入学や卒業、誕生など家族をテーマにしても、夢のある言葉を選んでもいい。新年を機に書き初めをして家族の歴史を記録してはいかがでしょうか」