【やまゆり園事件考】被告はいま(3) ニーチェに共感 憧れた超人

 立川拘置所(東京都)の居室で2年前の春、被告の植松聖(29)は哲学書の漫画版を開き、うなずいていた。「神は死んだ」の一節で知られるニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』。神の死後、人間が志向すべき存在は何か。「超人」であると説いた叙事詩的古典だ。

 拘置所の本棚から、「たまたま手に取った」という。ニーチェの存在は聞きかじっていたが、超人思想は知らなかった。≪君たちは人間を克服するために、何をしたか≫。勇ましく、高らかに「生」をうたうニーチェに触れた。「美しくある、格好よくあることは、すごく大切だと学びました」と植松は振り返る。古(いにしえ)の哲人が自説を代弁している、と高揚したそうだ。

 ≪私は「超人」に強い憧れをもっております≫。植松はこの漫画本を読む数カ月前、そうつづった手記を記者に寄せていた。「超人」への敬愛は、社会人になって芽生えたという。それは、才能と努力を兼ね備えた存在であると説明する。米大統領のトランプや野球選手の大谷翔平を例示した。

 ニーチェの明快な至言を選抜した自己啓発本がベストセラーになって久しい。この漫画本も大幅に戯画化されていた。ニーチェは「毒にもなる」と岐阜大教授の竹内章郎(社会哲学)は警告する。「高く羽ばたくためには、踏み台を強く踏み込まなければいけない。超人への傾倒は、弱者の強烈な否定と裏腹な関係にある」。ニーチェはかたや、弱者を「末人(まつじん)」「畜群(ちくぐん)」と名付けて蔑(さげす)んだ。植松は重度障害者を「心失者(しんしつしゃ)」と呼ぶ。

 立川で精神鑑定を終え、横浜拘置支所(横浜市港南区)に戻った植松は昨春、青ばんだ眉を両手で隠し、恥じらいながら面会の記者を迎えた。「ちょっと失敗しちゃって」。眉毛やひげを指ではさみ、手探りで1本ずつ抜いているという。拘置所に毛抜きを持ち込めないからだ。時折、流血する。電気ひげそりは購入できるが、「邪悪」な体毛は根絶しなければいけない対象らしい。「毛嫌い、とはよく言ったものです」と笑った。

 事件1年前、10万円で全身脱毛を試みた。「毛根から消滅させるんです。とどめを刺すんです」。二重(ふたえ)と鼻筋の美容整形にも、70万円をつぎ込んでいる。「美しさには、それだけの価値がある。それで超人になれるんです。パーフェクトヒューマンです」

 不浄なるは、「男はひげ、女ならデブ」。さらに忌み嫌ったのは、「糞尿(ふんにょう)」だった。ある日、気色ばんで記者に反問してみせた。「垂れ流してまで、生きたいと思わないですよね」。やまゆり園に在職中、粗相する入所者に憎悪を募らせていった。

◆ニーチェと超人思想

 1844─1900年。ドイツの哲学者。後期の代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』で、善悪の二元論を説くゾロアスター教の開祖(ドイツ語でツァラトゥストラ)を主人公として「神の死」を宣言し、キリスト教に基づく弱者の道徳からの価値転換を試みた。新たな強者の道徳を体現する存在として提唱したのが「超人」。格言めいたニーチェの論述は多様な解釈が可能で、実存主義哲学の先駆けとなった一方で、ナチスにも利用された。

◆相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園事件)

 2016年7月26日未明、神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。17年2月に殺人罪などで起訴された元職員植松聖被告(29)は「意思疎通できない人は安楽死させるべきだ」などと障害者を差別する発言を続けている。捜査段階の精神鑑定で「自己愛性パーソナリティー障害」と診断され、弁護側請求による起訴後の鑑定でも同様の結果が出た。裁判員裁判の初公判は1月8日に開かれ、3月末までに判決が言い渡される見通し。事件現場の施設は建て替え工事が進み、21年度中に新施設が開設される予定。

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