東九州道建設で土地分断 代執行を受けた福岡の岡本さん 「木を切るな」最後まで抵抗

岡本さんのミカン畑から行政代執行により完成した東九州道を望む=福岡県豊前市

 昨年、石木ダムの建設予定地のうち、反対住民の家屋がある土地を含む約12万平方メートルが明け渡し期限を迎え、長崎県と佐世保市は同事業にかかる全ての土地について行政代執行の手続きに入ることが可能になった。行政代執行とはどんなものか、公共事業の望ましい在り方とは-。代執行を受けた地権者に話を聞いた。

 瀬戸内海を望む広大なミカン畑は、NEXCO(ネクスコ)西日本が建設を進める高速道路で真っ二つに分断されていた。福岡県豊前市。農業を営む岡本栄一さん(73)はかつて自分の土地だった道路を苦々しく見つめた。建設に反対し、土地を明け渡さなかった岡本さんは5年前、ここで代執行を受けた。
 畑を貫くのは、北九州市と鹿児島市とを結ぶ東九州自動車道(全長約436キロ)の一部。福岡県は2015年、椎田南インターチェンジ(IC)-豊前ICの間にある岡本さんの畑約1万6千平方メートルについて、行政代執行法に基づいて木を伐採し農具を撤去した。「農家がごねてるだけ」といった批判も浴びた岡本さん。なぜ最後まで抵抗を続けたのか。
 日当たりのいい南向きの斜面、糖度の向上に適した気温。「ミカンが育つには一番いい土地」と胸を張る。父と2人で開墾した約12万平方メートルの畑で栽培に励んできた。
 畑の真ん中を道路が通る計画を知ったのは1999年。岡本さんが取り掛かったのは別ルートの提案だった。道路工学を学んで予定地の地盤を調査し、橋脚やトンネル一本一本の建設コストを算定。当初案より山裾を通る方がコストが低く、土地を明け渡す世帯が少ないと結論付けた。だが、別ルートが受け入れられることはなかった。国は2012年10月、「失われる利益より、得られる利益が大きい」として事業認定を告示した。
 15年1月、福岡県収用委員会が土地を明け渡すよう裁決し、5月に明け渡し期限を迎えた。岡本さんは支援者と一緒に木製の見張り用やぐらや小屋を建設。反対を訴えるイベントを繰り返した。しかし6月、届いたのは7月14日以降の代執行を宣告する「代執行令書」だった。
 季節は梅雨。代執行前日、天候悪化で代執行が延期されるのではという情報が流れたという。畑にいた報道関係者らも山を下り、岡本さんも帰宅しようとしたが、支援者の説得を受けとどまった。14日未明、畑の下の方からごそごそ物音が聞こえた。「来た」。岡本さんは延期情報が陽動作戦だったのではと疑ったという。畑は県職員や県警ら約200人に包囲された。
 午前7時ごろ、県の幹部が代執行を宣言。職員らがバリケードを撤去し、チェーンソーを手にぬかるんだ畑を進んできた。やぐらにいた支援者は職員に縛り降ろされ、やぐらは解体された。岡本さんはかっぱを羽織り小屋に立てこもったが、小屋はやがて職員に取り囲まれた。
 午前11時ごろ。突然、小屋の屋根と壁の隙間からミカン収穫用のカゴが投げ込まれた。気がそがれた瞬間、職員が小屋に突入。あっという間に両手足を拘束された。抱えられ小屋から連行される目の前で、大切なミカンの木が次々に切り倒されていく。「この木を切るな」。そう叫ばずにはいられなかった。
 土地はV字型に切り崩され、上下で分断された畑の行き来は不便になった。水脈が断たれたのだろうか、木は次々に枯れた。道路開通で猟銃も使えなくなり、畑はイノシシやシカに荒らされるようになった。
 大切な土地を守りたい、それに自分が考えたルートの方が優れている-。そんな訴えが届かず代執行に至ったことに、岡本さんは悔しさをにじませる。「ここまでやっても相手にしてもらえんやった。だから惜しいんよ。だから、今でも何かにかこつけて蒸し返したくなるんよ…」
 同区間は16年に2車線で開通。4車線化を期待する声もあり、土地は再び代執行を受ける可能性がある。岡本さんは畑の斜面に大きな看板を立て、道路の受益者であるドライバーに問い掛ける文言を書くという。「公共事業とは?」と。

再建したやぐらの前で行政代執行の記憶をたどる岡本さん=福岡県豊前市

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