授業のすべてを「閑話休題」に!?子どもの心に刻まれる授業をするには

YES International Schoolで、算数と数学の授業を受けもっている竹内先生。小学校高学年と中学生に合同で独自の特別授業をしているとのこと。いったいどのような授業をしているのでしょうか。

  • 万人にわかりやすくするのは不可能
  • 子どもが常に興味をもってもらえるような工夫を
  • 安定してお金を稼げるプログラマーは数学を駆使している

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「わかりやすく」の限界

そもそも私はサイエンス作家であり、一般読者に高度な科学知識を「わかりやすく」お伝えするのが仕事です。これまで、30年で150冊の本を書いてきましたが、もちろん「わからない」とか「簡単すぎる」というような読者からのフィードバックも、数え切れないほどもらいました。

また年間70回ほど、全国津々浦々を巡って講演会をしていますが、これまた赤ちゃんからご高齢にいたる聴衆に対して「わかりやすく」、科学や第四次産業革命の話をするのが使命です。主催者や聴講してくれた方々から「わからなかった」「当り前の話すぎた」という感想をたくさんもらいます(赤ちゃんからのフィードバックは今のところありません…親御さんからはありますが)。

で、還暦間近の私が到達した一つの境地は「万人に満足してもらおうとすると失敗する」「それでも可能な限り幅広い読者や聴衆の心に響くようにがんばる」こと。

学校と違って、社会には年齢別の学年なんてありません。また、文系、理系、体育系など、さまざまなバックグラウンドの人々に語りかけなくてはいけません。ですから、100%の満足を得ようとしても、残念ながら私の技量ではそれは不可能で、本にしても講演会にしても、失敗してしまうのです(=不満が噴出してしまう)。

ベンサムが「最大多数の最大幸福」ということを言っていると倫理学の時間に教わった覚えがありますが、その「最大」というのは100%にはできないことを、私は身をもって知ったわけです(ベンサムは功利主義の文脈なので、少々話は違いますが)。

そこで本を書くときも講演に臨むときも、語りかける「相手」を想定して、その人を中心に読者層や聴衆層を広げていくことにしました。漫然と「万人」に対して語るのではなく、ターゲットを定めるのですね。

数学史・科学史の話も交え、興味が続くよう努力

私の授業は、小学2年生から中学1年生に相当する年齢の子どもが相手になりますが、私のターゲットは二人います。一人は理解が早くて、どんどん私の話を吸収してしまう小学4年生Aくん。もう一人は、理解はゆっくりだけれど、じっくりと自分で納得するまで考え続ける小学4年生Bさん。

授業中私は、この名の表情を見ながら説明を続けます。Aくんが飽きてきたら、他の生徒も徐々に飽きてくるのだろうなと考え、Bさんが首を傾げていたら、他の生徒も完全にはわかっていないのだろうなと推測できるからです。

先日の授業では「方程式とグラフ」をやりました。グラフは、y=x、y=3x、y=-x、y=-3xなどと、基本的な直線を描く練習です。

ちなみにウチはバイリンガル校ですので、「一次方程式はlinear equation」「縦軸がordinate、横軸がabscissaで、両方合わせた座標軸はcoordinatesと言う」「3乗根はcube rootだよ」という具合に英語の数学用語は常に覚えてもらうようにしています(英語を使いこなすためには、「英語」だけでなく、数学、科学、経済、歴史などの用語も覚えないといけないからです)。

応用として、あえて縦軸をx、横軸をyにしてみたり、直交軸ではなく斜交軸にしてみたりして、子どもたちに柔軟な発想をしてもらうよう工夫をします。

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座標軸って誰が発明したと思う?

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アインシュタイン!

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ちがうな〜

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ニュートン!

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ニュートンは微分積分を発明したけどちがう

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デデキント!(前にデデキント切断という、数直線を無限に薄いナイフで切った断面の話をしたので子どもたちはデデキントが大好き)

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ちがうよ〜

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じゃあ、だれ?

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デカルトだよ

数学史・科学史の話も交え、子どもたちの興味が続くよう努力します。私は子どもたちを教えるようになって、大学で科学史を専攻していたことを「ありがたい」と感じることが多くなりました。過去の偉人の仕事を振り返ることが学問の基本だということに改めて気づきましたし、子どもたちも喜んでくれます。

みなさんも学校時代に先生が教えてくれたことで、いまだに覚えているのは「雑談」とか「閑話休題」だったりしませんか?それは、決まり切った教科書やドリルを離れ、先生自身の言葉で語られたから、生徒の心に残ったのではないでしょうか。

だとしたら、授業すべてを「閑話休題」にしてしまえばいいのではないかと私は考えています。無数の閑話休題が集まったとき、それは人工的に組み立てられたカリキュラムよりも、ずっとずっと生徒の心の奥深くに刻まれるように思うのです。

リアルタイムで生徒たちに合わせて問題を作って出す

グラフを例に話を進めましょう。基本的なグラフが描けるようになったら、今度は、グラフをずらす練習です。y=xを上に3つずらすとy=x+3という具合に。おもしろいのは、この問題をやってもらうと、ほとんどの生徒が、無理矢理、原点を通るグラフを描こうとする点です。

基本練習のグラフがすべて原点を通っていたので、「グラフは原点を通るものである」と発想が固まってしまっているのですね。いけません。数学は自由でなくては。座標軸を斜めにすることもそうなのですが、常にやわらかい発想へと子どもたちを導くのが私の役割です。

試行錯誤の末、子どもたちは、直線が必ずしも原点を通過しなくてもよいことを理解するようになります。そして「もっと問題出して〜」とせがむので、いきなりy=|x|の話に飛んだりします。もちろん、絶対値の意味については|3|=3、|-3|=3みたな例を複数、ホワイトボードに書いておきます。数分の格闘の後、子どもたちは、y=xのグラフとy=-xのグラフが混ざったような、Vの字の格好をしたグラフが描けるようになります。

あらかじめ用意されたドリルをやるのも否定しませんが、このようにリアルタイムで生徒たちに合わせて問題を作って出すのは、臨場感満載で実に楽しいものです。

算数・数学特別授業の次なる一手

トライリンガルを標榜しているYES International Schoolでは、国語、英語の次に来る3番目の言語は、数学・プログラミング言語です(スペイン語もありますが(笑))。

ここで数学・プログラミング言語という書き方をしているのには理由があります。プログラミング学習は塾もたくさんあり、人気の習い事ですが、私は常々、いいプログラミングと悪いプログラミングがあると考えています。いいプログラミングとは「数学と融合したプログラミング」であり、悪いプログラミングとは「数学を無視したプログラミング」のことです。

誤解のないように強調しておきますが、あくまでも今の小学生を念頭に置いて、15年後、30年後の世界でプログラミング技能を「武器」にできるか否かという視点でのお話です。

職業プログラマーで安定してお金を稼げる人の多くは、知ってか知らずか、数学を駆使しています。逆にいうと数学が駆使できないプログラマーは、長期的に安定してお金を稼げない恐れがあるのです。

もともとプログラムがコンピューターを操る言葉であり、コンピューターは計算機なのですから、数学が重要なのは、当り前といえば当り前です。でも、その基本がないがしろにされ、表面的にロボットが動かせればプログラミングを学習している、というような風潮がはびこっています。

将来、一流のプログラマーとしてAI時代を牽引していくためには、プログラミングと数学を「くっつける」必要があります。

私の算数・数学の授業では、グラフの例で言えば、基本的なグラフを「手で覚えた」あとに、今度はどんどん複雑なグラフをプログミングで描いてゆくことを目指します。あるいは、先日、サイコロを転がして確率の実験をしたのですが、教室だと、せいぜい100回がいいところですよね。でも、プログラムを書けば、1万回だろうと100万回だろうと自由自在です(限界はありますが)。そして、本格的なコンピューターシミュレーションの基本であるモンテカルロ法なども試すことが可能になります。

実をいえば、これまでプログラミングと数学はあえて分けていたのですが、そろそろ子どもたちの数学技能が「貯まってきた」ので、プログラミングで数学を遊ぶ段階が来たと感じています。楽しい数学をプログラミングで広げて、さらに楽しくするには、どう工夫すればいいか、今、来期の授業に向けて思案中なのです。

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