試合に勝って勝負に負けた「かっちゃん vs 横浜銀蝿」人生編 1981年 1月12日 横浜銀蝿のシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」がリリースされた日

ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)で全国区になった “赤テープ”

「今夜も全開バリバリで勝手な事を書きまくるゼ! ベイビー!」

ということで、今回は T.C.R.横浜銀蝿 R.S. についてリマインドしてみたいと思う。1500年初頭の戦国時代が東山文化なら、1980年初頭はツッパリ文化といっても過言ではないだろう。

「おじさんの学生時代には、通学カバンの持ち手に “赤いテープ” を巻いていると、喧嘩を売ってもいいことになっていたんだ。」と今の若い人に言ったら「はぁ??」と困惑してくれるだろう。1981年にリリースされた「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」で全国区になった “赤テープ” のことである。

同じように “短ラン” “中ラン” “長ラン” や “ドカン” “ボンタン”などの学生服を説明しても、若い人にとっては「なんですか、それ?」であろう。「いやいや、あのころは人間だけでなく、猫まで学ランを着ていたんだ」と言ったら「あたま大丈夫ですか?」と心配されかねない。

でもそういう時代だったのだ。マッポ(おまわりさん)に追いかけられることが何よりの勲章だったのだ。

売れる前、メンバーの腹を満たした 牛丼ツユダクと白飯、そして紅ショウガ?

ある時 “かっちゃん” という私の「ツッパリ・クラスメイト・ロックン・ロール」が話しかけてきた。

「昨日のラジオ聴いた?」

内容はこうだ。横浜銀蝿のメンバーが売れる前、お金がなくてご飯もロクに食べられなかった。牛丼ツユダクと白飯を頼んで、上のお肉を白飯に移し替え、残された “ツユダク丼” は紅ショウガだけで食べてお腹を満たしていたそうだ。当時牛丼一杯350円。白飯は確か100円か150円だったような気がする。合計すると450円くらいである。

「それって贅沢だよな。俺たちなんかコンビニでカップ麺(125円)に、うどんの替え玉(60円=カップ麺を食べている間に電子レンジで温めておく)で餓えを凌いでるもんな。合計で185円。俺たちの方が全然上じゃね?」

確かに低価格競争という試合には勝ったかもしれないが、人生における勝負という点ではボロ負けな発言であった。

P.S. かっちゃんの愛車は知る人ぞ知る名車「ケッチ(カワサキKH400)」であった。

※2017年4月9日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 時の旅人

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