【相模原殺傷第3回公判】遺族が語るあの日 「神様は最後に美しい光景を―」

公判が開かれている横浜地裁=15日午前

 神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で2016年7月、入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人などの罪に問われた元職員植松聖被告(29)の裁判員裁判の第3回公判が15日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれた。殺害された19人のうち12人の遺族らの供述調書が検察側から読み上げられ、実子やきょうだいを奪われた遺族は一様に極刑を求めた。

 救急車やパトカーが行き交い、上空をヘリコプターが旋回していた。集落の平穏は見る影もない。女性=甲B=の母親の調書には、日常が突如として暗転する情景が克明につづられていた。

 「両親一緒に来てください」。事件当日の早朝、やまゆり園に呼び出された母親は、園前に張り巡らされた規制線をくぐり、救急のテント脇を駆け抜け、東棟のはなホームに飛び込んだ。

 「娘はいますか」。捜査員に尋ねたが、「立ち入り禁止」と呼び止められた。テレビドラマのような光景で、現実を受け止めきれなかったという。長女の居室は目と鼻の先だったが、一歩も立ち入りが許されなかった。

 家族は園内の一室に通されていた。机上に入所者名簿があった。名前の隣に記されていたのは、「○」と「×」。それは生死を分ける印だった。女性=当時(70)、甲D=のめいの調書によると、父親が「死んじゃったのか」と叫ぶと、無言でうつむいていた遺族たちがせきを切ったように声を上げて泣きだした。

 遺族が亡きがらと対面できたのは、県警の検視が終わった日暮れ。ストレッチャーに載せられ、一様に首元をガーゼで隠されていた。女性=甲G=の頰に触れた母親は調書で「生命の温かみはありませんでした」。このとき死を実感したという。

 右半身が不自由だった女性=甲H=は首を集中して刺されて死亡した。弟は「せめて即死であってほしい」と願ったが、左手に貫通した刺し傷があったと神奈川県警から知らされた。「唯一動く左手で身を守ろうとしたのか」。調書は、弟の心痛を伝えた。

 男性=甲L=に母親が最後に会ったのは、事件16日前。月1回の面会時、最寄り駅前の食堂で昼食をともにする決まりだった。家計に余裕はなかったというが、この日ばかりは奮発した。男性はフライ定食と焼きそばを注文し、全て平らげた。駅舎に季節外れのツバメが営巣し、親鳥がひなにえさをあげていた。男性は興味深そうに眺めていたという。母親は調書で振り返った。「神様は最後に美しい光景を見せてくれたのかな」

 「精神障害で刑罰を免れるのは許さない」と女性=同(60)、甲E=の弟が追及すると、被告は共感するように二度うなずいた。かたや、「死刑」の求めには不快感をあらわにした。女性=甲F=の妹から「地獄に落ちるだけでは生ぬるい」「この手で殺したい」と断罪されると、そのたび、表情は赤らみ、首をかしげた。

© 株式会社神奈川新聞社