日本サッカー史上最高の天才と言えば、久保建英選手や本田圭佑選手、中田英寿選手の名前が多く浮かぶと思います。
日本サッカー史上最高の天才なのに、財前宣之なんて名前聞いたことが無い。
そう、思う方も多いでしょう。
日本サッカーには、怪我に悩まされて消えていった財前宣之と言う1人の天才がいました。
財前宣之ってどんな選手?
財前宣之は現在43歳の、天才と呼ばれた元サッカー選手です。
高校は読売ユース(現ヴェルディユース)でプレーし、1993年に行われたU-17世界選手権では、リーグ戦3試合全てでマンオブザマッチに選ばれ、大会ベストイレブンにも選ばれています。
その後ヴェルディのトップチームに昇格した後に、その才能が認められてイタリアの名門ラツィオに留学し、ユース所属ながらトップチームの紅白戦などにも出場し、アジア人唯一の世界選抜の選手にもなりました。
その翌年にスペインのログロニェスと言うチームに移籍しますが、膝の靭帯を断裂し、1度もプレーすることが無いまま日本に帰国しました。
現在では久保建英選手が、過去には大久保嘉人選手や家長昭博選手などがプレーしていますが、靭帯損傷が無ければスペインでプレーする初めての選手になっていたでしょう。
帰国後はヴェルディに所属し、1999年には再度海外に挑戦しクロアチアのリエカと言うチームに所属しますが、1試合も出場が無く同じ年に日本に帰国し、当時J2だったベガルタ仙台に移籍します。
その後モンテディオ山形に移籍し、最後はタイリーグで引退しています。
日本サッカー史上最高の天才と呼ばれるほどの実力を持ちながらも、3度の膝の靭帯断裂と言う重い怪我に悩まされて輝ききれなかった選手でした。
イタリア歴代屈指のDFネスタも握手を求めるレベルの天才!
ネスタと言えば、マルディーニやカンナヴァーロと言った名DF達とイタリア代表の全盛期を支えた、サッカー史上でイタリアのみならず世界でも屈指の名DFだった選手です。
財前宣之が留学していたラツィオに、ネスタは当時所属していました。
当時からネスタはイタリア代表に召集され、世界のトップDFでしたが、紅白戦で財前宣之とマッチアップした際に財前宣之にほとんどボールを触れないほど翻弄され、ネスタやラツィオの選手たちの度肝を抜きました。
そして、2002年のワールドカップでイタリア代表が仙台合宿を行い、当時財前宣之が所属していたベガルタ仙台と練習試合をした際に再開し、当時のことを忘れられなかったネスタは財前宣之に握手を求めに行きました。
当時の世界最高DFであるネスタが、自ら握手を求めに行くほどの才能、まさしく天才です。
中田英寿がお手本にしていた存在
日本サッカー史上で最高の選手の1人である中田英寿が、代表の練習でお手本にしていた選手が財前宣之です。
そして、中田英寿が一緒にサッカーをしていて、1番楽しかったと言う選手が財前宣之です。
トッティやカフー、バティストゥータなど、世界のトップの選手たちと一緒にプレーしてきた中田英寿がこういうと言うことは、本当に凄かったと言うことが分かります。
現在では久保建英選手や、もう少し下の世代だとレアル・マドリードの下部組織に所属する中井卓大選手などが今では天才だと言われています。
しかし、そんな彼らも財前宣之選手の様に、大事な時期で大怪我を負ってしまえば、どうなるか分かりません。
サッカー選手になること自体とても難しいことで、選手生命も短い。大怪我を負ってしまえばその時点で引退もあり得ます。
そんなサッカー界でメッシやロナウドの様にスター選手として活躍出来る選手は一握り。
サッカーには、そんな儚さや人間ドラマがあるからこそ、より私たちを熱狂させてくれるのかもしれません。