「2024年問題」へのプーチン流解決策  始まった院政体制の構築  後継者の見定めも同時進行へ

 ロシアのプーチン大統領が15日の恒例の年次報告演説で、統治機構の大幅見直しを柱とする憲法改正を提案した。同時に、盟友メドベージェフ首相を事実上更迭するサプライズ決定を行った。新首相には、後継首相の下馬評にも上っていなかったミハイル・ミシュスチン連邦税務局長官(53)の起用を提案した。(元共同通信モスクワ支局長=吉田成之)

15日、モスクワで年次報告演説をするロシアのプーチン大統領(タス=共同)

 あまりに突然だったため、プーチン提案の真意については、ロシアの専門家の間でもまだ見方が分かれているが、現在の大統領任期(任期6年)が切れる2024年以降も、プーチン氏が大統領の座からは退くものの、何らかの形で最高実力者として「院政」を敷くことを狙ったものという意見が大勢だ。プーチン氏はことし、68歳になる。柔道で鍛えており、とても引退の2文字は頭にないだろう。

 2000年の大統領選で初当選以来、今年でちょうど20年間、政界で君臨してきたプーチン氏の去就をめぐっては、節目を迎えることもあり、昨年来、様々な憶測が流れていた。ロシア政治にとって最大の懸案である「2024年問題」である。

 今回「プーチン院政」の構築に向けた制度づくりが動き出したことに加えて、もう一つはっきりしたことがある。プーチン氏の後継者の見定め作業が始まったということだ。

 「24年問題」をめぐり噂されてきたシナリオは幾つかあった。まず①大統領任期を連続2期までに制限する現在の憲法規定を改正して、24年以降も大統領の座にとどまる②憲法改正により、大統領の権限を弱める一方で、首相と議会の権限を強化して、自ら最高実力者の首相に転進する③ロシアとベラルーシの「連合国家」統合を強化し、自ら新連合国家の大統領になるーなどの見方だ。

 事実上の強権政治的な統治をしているプーチン氏だが、法学部出身ということもあって、法的裏付けのないトップダウンは避けてきた。事実、2008年には、連続3選を禁止していた当時の憲法規定を形式上守る形で、メドベージェフ氏と入れ替わって首相になり、院政を敷くという奇手に出た。12年にプーチン氏は大統領に返り咲き、現在2期目だ。

モスクワ郊外で、憲法改正の会合に出席するロシアのプーチン大統領=16日(タス=共同)

 今回のプーチン構想を受け、最も有力なシナリオとして浮上してきたのは、これらとは全く異なる、第4の道だ。プーチン氏は20日、より肉付けした憲法改正案を下院に提出した。それによると、現在は諮問機関である「国家評議会」を「大統領が参加者を決定し、国家権力機関の機能調整や内外政策の方向を決定する」と位置付けた。これにより、大統領退任後、自ら評議会議長に就任し、院政を敷くというシナリオがより現実味を帯びてきた。これを裏書きするように大統領権限を抑制し、下院の権限を強化する内容も盛り込まれている。

 また、改正案は連続2期までとする大統領任期の規定から「連続」を削除。事実上、24年以降、プーチン氏が大統領職にとどまる選択肢を自ら排除した。

 この「院政シナリオ」には前例がある。中央アジアのカザフスタンだ。昨年3月に突然大統領職を辞任したナザルバエフ氏は、大統領代行に側近のトカエフ氏を起用したが、共和国安全保障会議議長として、事実上の最高実力者のままといわれている。この安全保障会議議長の役割をロシアでは国家評議会議長が果たすという構想ではないか。いわば「カザフ・モデル」だ。

 では、プーチン氏の改憲提案はなぜ今だったのか。まだ任期は4年もあるのに、という疑問は当然だろう。その答えは恐らく、プーチン時代24年間のレガシーを早く確立したいという、あせりだ。

 プーチン氏は4期目をスタートさせた18年5月、大統領令「2024年までのロシア連邦発展の戦略的課題と国家目標」と題した大統領令を発表。12の優先的な政策分野を指定し、6年間で社会・経済面で大改革を進める「ナショナルプロジェクト」を設定した。その内容は生活向上・教育改革・道路網整備・デジタル化の推進など広範にわたる。

 しかし、これまで成果は思うように上がっていない。テレビで放送される閣議を見ても、最近プーチン氏が言葉こそ丁寧なものの、担当閣僚を叱責する場面が目立ってきた。大統領の脇でメドベージェフ首相がバツの悪い表情を浮かべていた。

ロシアのプーチン大統領(右)とメドベージェフ首相=15日、モスクワ(ロイター=共同)

 院政を敷くには輝かしい業績が不可欠である。西側の経済制裁もあって、ロシア経済は停滞し、国民の不満は強まる一方だ。

 このままではレガシーづくりは覚束ないと危機感を持ったプーチン氏は、連邦税務局長官として、デジタル納税システムの構築という成果を上げたミシュスチン氏を抜擢したと言われている。このシステムのお陰で、税収は伸び、デジタル化推進というプロジェクトに貢献した。プーチン氏は、「スーパー官僚」とも呼ばれるミシュスチン氏の実務遂行能力に賭けたのだろう。

 この二人の構図は、1999年8月、当時のエリツィン大統領に首相に指名されたプーチン氏が、その年末には辞意を表明したエリツィン氏から大統領代行として後継指名された経緯を思い出させる。首相になったプーチン氏はチェチェン紛争やテロ対策で大きな成果を上げ、エリツィン氏の信頼を盤石にした。

ロシアの新首相ミハイル・ミシュスチン氏=モスクワ(ロイター=共同)

 ミシュスチン氏が国家改革で結果を出せば、エリツィン氏と同じ判断をしようとプーチン氏が考えているのではないか。ミシュスチン氏後継説をめぐって、「カリスマ性がない」などと指摘する意見もある。しかし、プーチン氏の後継指名のプロセスをモスクワで取材した経験を基に考えれば、その指摘は的を射ていないと言えるだろう。

 首相に抜擢された当時、プーチン氏は今のミシュスチン氏同様にほぼ無名の閣僚だった。おとなしそうな外見も手伝って、カリスマなど微塵もなかった。それがチェチェンなどでの「戦果」であっという間に後継者への階段を駆け上った。

 24年問題の最終的行方を占う「クレムリノロジー」ならぬ「プーチノロジー」の本番は幕が切って落とされたばかりだ。

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