卓球界のレジェンド、代表監督にぶつけた7つの質問<息子が読み解く“世界のオギムラ” #6>

写真:荻村伊智朗氏/提供:アフロ

故・荻村伊智朗(おぎむらいちろう)氏の現役時代の卓球ノートが自宅から発見された。

荻村氏は選手時代に世界選手権で12個のタイトルを獲得、引退後はITTF(国際卓球連盟)会長も務めた日本卓球界のレジェンドだ。

本企画では長男・一晃(かずあき)氏が、「ミスター卓球」とも呼ばれOgi(オギ)の相性で世界中から親しまれた父・伊智朗氏の人生を、“世界一の卓球ノート”から読み解く。第6回となる今回は、「今後の日本の卓球」というタイトルで荻村が22歳の時に書いたメモと選手時代に代表監督に向けて送った手紙から話題を広げたい。

卓球第一人者としての自覚

写真:故・荻村伊智朗氏のウェアとラケット/提供:荻村一晃

荻村が22才の現役の時、ノートにこのような決意を記している。

「今後の日本の卓球」
日本の卓球が国際スポーツの仲間入りをしてから三人の名選手が出た。
今(孝)、藤井(則和)、佐藤(博治)の三君がそうだ。
しかし、実際に日本の卓球に影響を及ぼしたのは今、藤井の両君だ。
そして、第三の創造的プレイヤーが荻村だ。
今はその守備を主体としてゆるい正確なplacementに依る攻撃を持って、第一期のオールラウンド時代を築いた。
藤井は強力な決定球を、自己中心的に駆使して、後年守備としてのショート・カットを併用して、第二期のオールラウンド時代を築いた。

これまでは卓球の研究方法が、もっぱら技能を受け継ぐ方法を採り、今、藤井共々に世に何等の科学的、理論的”技術”を残さずに終わった。
眞の近代スポーツは科学に立脚した研究方法又練習方法を持つ。

荻村の卓球に於ける使命は、卓球をして近代スポーツの仲間入りをさせることにある。
彼の理論は近代科学に立脚せねばならない。
いかなるスポーツに伍しても、遜色なき理論的、科学的”技術”及び技術の習得法を創成するのが彼の使命である。
彼は自ら範となってそれを示す。
彼の卓球史に於ける役割は、過去の何人よりも大きい。
1954.9.30

卓球史における自身の役割を「卓球を近代スポーツの仲間入りさせること」。そのために「近代科学に立脚させること」としている。すなわち体系立てた理論を後世に残そうとしていたのだ。

自宅には人体の事典があり、指導時には専門用語も使っていた。専門家と相談の上ウェイトトレーニングを早くから取り入れ、日本にはなかった時代にスポーツドリンクを海外から仕入れたり、良いと思うものは積極的に試みた。この決意は、生涯途切れることなく続いていた。

監督への7つの質問

写真:故・荻村伊智朗氏(左)と中国の世界王者・荘則棟氏/提供:荻村一晃

現役時代の荻村の卓球への情熱を示すエピソードがもう一つある。当時の日本代表の監督に将来の日本選手の強化策についての質問をぶつけたのだ。

(1955年2月7日長谷川喜代太郎氏に対する質問)
①中学に重点をおいた方がよいか?
②Shakehandの選手を育てるpercentage
③Shekehandに於いて、日本人に軽い守備は適しないか?
④外国選手の攻撃は現段階においてはドライヴを攻撃できない
⑤外国でロングが未発達のためか、外国のplayerにてきしないのか
⑥日本のshakehand playerのlongはforeign playersの様にすべきか?Japaneseのやり方でよいか
⑦DefenceはEuropeanでoffenceはJapanese styleだとしたら、そこに矛盾はないだろうか?

当時の日本代表監督に今後の日本選手の強化策を質問するとは、どのような心境だったのだろう。「今」必要だと思ったから、立場は気にせずに質問をすることにしたのだろう。後に強化にかかわっていた時代には、昼夜を問わず日本代表監督・コーチに指示と質問のファックスを送っていた。

良いと思えば選手の用具やプレースタイルを突然変更させたこともあった。当時は知名度の低かった粒高ラバーを辛抱強い性格の選手に使わせたり、台頭著しいハンガリー選手の両ハンドドライブを見て身長の高い選手のスタイルをそのように変えたりもしていた。アイデアが浮かんだらすぐに実行する、というのがOgiのスタイルだったのだ。
(続く)

文:荻村一晃
企画協力:Labo Live

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