【大学野球】明大・田中新監督が見る阪神高山の課題「必要なのはメンタル」「もう一度原点に」

今シーズンから明大野球部監督に就任した田中武宏氏【写真:篠崎有理枝】

11年から9年間コーチを務めていた田中武宏氏が明大監督に就任「指導よりも選手たちの手助けがしたい」

 今シーズンから明大野球部監督に就任した田中武宏氏は、11年から9年間コーチを務め、これまでに24人のプロ野球選手を誕生させた。指導に当たった9年間で印象に残っている選手、そしてこれからのチーム作りで意識することを聞いた。

 田中氏は明大から社会人の日産自動車(10年から休部)に進み8年間プレー。引退後は実家のある神戸に戻り社業に専念していたが、11年に明大前監督の善波達也氏に「週末だけでいいので指導に当たってもらいたい」と、コーチ就任を依頼された。それから9年間、金曜日の夜に上京する日々を続けた。

「社会人の8年目に怪我をして、試合にほとんど出られませんでした。その時に控えの選手の気持ち、怪我をして試合に出られない辛さが初めてわかりました。あれが大きかった。その時から、指導というよりは選手たちの手助けがしたいという気持ちを持つようになりました」

 コーチを務めた9年間で、野村祐輔投手(広島)や福田周平内野手(オリックス)、糸原健斗内野手(阪神)、そして19年のドラフト1位で広島に入団した森下暢仁投手など、24名もの選手をプロの世界に送り出した。これまで数々の選手を見てきたが、その中でも一番印象に残っているのは、15年のドラフト1位で阪神に入団した高山俊外野手だという。田中氏が最初に高山を見たのは、日大三高3年春の選抜だったが、この時の印象はあまり良いものではなかった。

「準々決勝の対加古川北戦をスタンドから見ていたのですが、セカンドの横をゴロで抜けて右中間に転がる打球を、センターが一生懸命追っているのに、ライトの守備に就いていた高山は一歩も動かず、全く打球を追いませんでした。点差はついていましたが、甲子園のベスト8ですよ。これはダメだなと思いました」

 再び高山を見たのは、明大野球部のセレクションだった。山崎福也投手(オリックス)など、日大三高から明大に進学した先輩に憧れ、入部を希望していたのだ。この時、フリーバッティングを見た田中氏は、ものの良さに驚いたと当時を振り返る。周囲が目を見張る打撃を見せた高山は、1年の春から神宮の舞台で躍動した。

「バットに球が当たる時の音が違いました。それは、周りで見ていた人全員が言っていましたね。春の開幕戦、走者一塁の場面で『こういうときは一、二塁間を意識して打たなきゃダメだ』と口酸っぱく言っていましたが、代打で出た高山がいきなりそれをやりました。次の打席ではフェンス直撃の二塁打。デビュー戦でいきなり3打数2安打2打点の結果を残しました」

 1年春に20安打を放ったが、それでも毎日学校に行く前に必ず、当時監督だった善波氏が付きっきりでボール3箱のトスバッティングを行った。その成果もあり、4年間で通算131安打を放ち、リーグ通算最多安打記録を更新。鳴り物入りで阪神に入団した。プロの舞台でもその勢いは止まらず、ルーキーイヤーには球団新人記録の136安打を放つ活躍を見せ、セ・リーグ新人王を獲得。しかし、3年目の18年には1軍での出場が45試合に留まるなど伸び悩み、スタメンを獲得できずにいる。

「高山に必要なのは、メンタルだと思います。あのフリーバッティングを見たらホームランを期待したくなりますが、長距離打者ではない。タイガースという注目を集める球団ですが、自分の置かれている立場を理解して、自分のやるべきことをやるだけです。昨年後半は結果を出してきました。今年5年目ですから、周りも見えてきていると思います」

中日柳は「変化球ピッチャー。スピードにこだわる必要はない」

 一方、入部当初は目立つ存在ではなかったが、4年間で一番成長を遂げた選手に、昨シーズン11勝を挙げた中日・柳裕也投手の名前を挙げる。トレーニングにより身体を大きくしたことに加え、投球の際の癖を直したことで、結果が出るようになったという。

「入ってきたときはスピードも135キロ前後で、そこまでではありませんでしたが、トレーニングをよくする子だったので、身体づくりをしっかりして、順調に身体が大きくなった。投球の際、手を下したときにロックをかける癖がありましたが、手を『すとん』と落とすようにしてから伸びましたね」

 2球団競合の末に中日に入団したが、怪我に苦しみ1年目はわずか1勝、2年目も2勝に終わった。3年目の昨シーズンは11勝と飛躍を遂げたが、今後の成長には高山同様、周りに流されずに自分のやるべきことをやるだけだと話す。

「プロでは周りが自分より速い球を投げる。それに追いつこうとしてしまいますが、それは違います。柳は変化球ピッチャーですから、自分の良さを出すことです。4年生の時は140キロ後半を出していましたが、130キロ後半くらいだった2年生の時の方が、ベース盤でのボールの勢いがありました。スピードにこだわる必要はないと思います」

 多くの教え子がプロの舞台で戦っているが、結果を残している選手ばかりではない。プロで伸び悩んでいる選手たちには「一度原点に戻ってほしい」とメッセージを送る。

「自分の一番精神状態が良かった時はどうだったのか、もう一度振り返って考えてみることが大切だと思います。それが高校なのか、大学なのか、社会人なのかわかりませんが、その時はどのように取り組んでいたのかを思い出してほしい。そして、調子が悪いときに気分が落ち込むのはわかりますが、周りの人たちへの感謝の気持ちは絶対に忘れてはいけません」

 明大の伝統である人間力野球をどんな時でも大切にしてほしいと願う田中氏。今シーズンからチームを指揮する立場となったが、やることはこれまでと変わらないと話す。

「道具やユニホームなど、進化しているものは取り入れていきますが、これまでと大きく変えることはありません。このチームは六大学で一番、私生活が成績に直結すると思っています。逆にそこさえちゃんとやれば勝てる。寮内での生活は、4年生が先頭に立ってまとめていってくれればと思います」

 昨シーズンは、エース森下を擁し春のリーグ戦優勝、全日本大学野球選手権でも38年ぶりとなる優勝を飾ったが、秋のリーグ戦は5位に沈んだ。その様子を見ていた新4年生は奮起することができるか。時を超えて継承され続ける明大の「人間力野球」に注目したい。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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