第5回「生かし合う闘い」

異次元の常識 text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

他人を排除してまで守らなければならない迷惑とは何なのだろう?

2019年12月16日に殺人罪で実刑6年の判決が出た、元農水相事務次官の長男殺傷事件。

この事件には「他者への迷惑」という認識へ対しての、偏った社会常識が生んだ事件とも感じている。

おおよそ多くの人間が、子どもの頃から家庭や学校で刷り込まれてきた概念のようなものに「他人に迷惑をかけるな」というものがあると思う。他人に迷惑をかける者は悪であり、人様に対して申し訳ないといったところだろうか?

それでは「他人に迷惑をかけてはいけない」と思っている人たちに問いたい。迷惑をかけずに生きている「人間」という生き物が、果たしてこの世の中に存在するのであろうか?

理想として他人に迷惑をかけたくないという思いは、わかる。しかし、迷惑をかければ罰せられる、迷惑をかければ恥ずかしい、迷惑をかけられたら困る。そんなことが常識としてまかり通る社会は、生きやすい社会だろうか?

「迷惑をかけるな」という一方的な自分の主張をするだけで、他人の言動には耳を貸さない。「一人で死ね」と、問題の本質である「なぜこんな事件が起きてしまったのか? こんな事件が起きないようにするためには何が必要か?」という問題には目を向けず、言い合うことで主張し合い、一向に歩み寄ることもしない。それでは長男を殺してしまった元農水相事務次官のやったことは「一人で死ね」と主張する人間にすれば正しいことなのだろうか?

生まれつきの重度障がい者が3人いるアウトローフォークバンド、ラブ・エロ・ピースというバンドがある。アルバム『ラブ・エロ・ピース』に収録されている「ふつう」という曲でボーカルのお邪魔ん裕二さんは、重度障がい者である自らも障がい者に対して差別をしていて、そういった差別意識があるから今の世の中は成り立っていると言っていた。それによって自らが差別されて屈辱的な思いを味わったこともあり、「じぶんと じぶんがころしあう いかして いかしあって たたかいだ」と唄う。

「生かして生かし合って闘いだ」 これこそが「他人に迷惑をかけるな」という認識への明確な回答であると思うのは筆者だけであろうか? 他人を排除してまで守らなければならない迷惑とはいったい何なのだろう?

2010年1月8日には、相模原市の障がい者施設「やまゆり園」で起きた、元施設職員による障がい者殺傷事件の裁判が始まった。こうした事件を風化させてしまうことが、誰もが生きにくい世の中を作り出す。

【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。

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