(2)紛争地のこんな「現実」、知っていますか
2015年、イエメンの病院にやってきた子どもたちと © MSF
国境なき医師団(MSF)の手術室看護師として、多くの派遣経験を持つ白川優子が思いをつづった連載コラム※を、抜粋してお届けします。
心の声に従って看護師になり、MSFで主に紛争地での活動を重ねてきた白川。そこで出会うのは、何の罪もないのに戦争の犠牲となり血を流す人びとでした。
命を救う活動を、どうぞご支援ください。
※国境なき医師団への寄付は税制優遇措置(寄付金控除)の対象となります。
国境なき医師団(MSF)に参加した当初に大きく大きく感じていた喜びは、紛争地に繰り返し派遣されるうちに、次第に怒りや憤り、無力感や挫折感へと取って変わっていった。
紛争地で運ばれてくる患者さんの中には、手や足がもぎれかけた状態だったり、爆発時に吹き飛んだ破片が身体中に突き刺さっていたり、また病院に着いた時には息を引き取っている患者さんもいる。お年寄り、妊婦、大人に限らず乳飲み子であろうと無差別に、血を流して運ばれてくる。
私は紛争地に生きる子どもたちが夜中に遊んでいることなど、現場に行くまで知りもしなかった。空爆と銃撃戦から身を守るために、昼間は家の中で閉じこもり、攻撃の音が止んだ夜になってから外に出て遊ぶのだという。
きょうだいと羊の世話をしていたときに地雷で大けがを負ったシリアの少年 © Louise Annaud/MSF
家族を守るため——。地雷で足を失う父親たちを見て
ある夜、8人の子どもが一度に運ばれてきた。道端でとても面白そうなものを発見し、みんなで蹴ったり突いたりして遊んでいたのだが、それは時限爆弾で、そこにいた8人の男の子たちの手や足を吹き飛ばした。私たち外科チームは、朝まで彼らの四肢を切断する手術に追われた。ようやく手術が終わり、まだ麻酔で眠っている子どもたちの寝顔を見ながら、私は苦しくてたまらなかった。目が覚めたら、この子たちは、もう自分の手や足がないのだという現実を知らなくてはならないのだ。
空爆で夫と4人の子どもと、自分の片足を失くした50代の女性は、麻酔から目を覚ました時、私の目を見て「死なせて」と言った。任務中は泣かないようにしているが、この時は彼女の手を握りながら泣いた。
ある地域では、空爆から逃れるために、地雷原と分かっていてそこを通り、安全地帯への脱出を試みる人びとが続出した。
連日、地雷の被害者を収容しているうちに私はある法則に気づいた。集団で運ばれてくるのは家族や親戚で、重傷者はいつも一家のあるじ。それには理由があった。彼らは1列になって地雷原を歩いてくるのだ。一家のあるじが先頭に立ち、自分の足で地雷の上か、安全な地面かを判別しながら歩いていく。途中で地雷を踏めば命とりだ。その背中を見て、後に続く妻や子どもたちは、先頭に立つ者の足跡を一歩一歩進む。それは、一家のあるじが自分を地雷の犠牲にして家族を守るためだった。
家族を空爆と地雷から守るために、命を失うほどのリスクを自ら引き受けたお父さんたちのずたずたになった両足を見ながら、胸が引き裂かれそうだった。
(「紛争地からの“ひとりごと”」(3)へ続く)
命を救う活動を、どうぞご支援ください。
※国境なき医師団への寄付は税制優遇措置(寄付金控除)の対象となります。
※このコラムは「情報・知識&オピニオン imidas」で連載中の「『国境なき医師団』看護師が出会った人々~Messages sans Frontieresことばは国境を越えて」を改題・再編集したものです。
原文はこちらから⇒「第4回 紛争地からの“ひとりごと”」