荒木優太 - 話していると書くのとは違うリズムが生まれる

よくわからないものに対しては問いを深めていける

──有島武郎を専門とされる“在野研究者”ということですが、まず日本文学を研究しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

荒木:私は人とコミュニケーションを取る中で常に疎外感を感じていました。ただ教室の中にいると友達と話さなくちゃいけない。それをどうにかしたいと思ってひとつ発見したことが、「人は本を読んでいる人には話しかけない」ということでした。ブックオフで100円の適当な本を買って読むふりをしていると人々が寄り付かなくなってすごく快適なんですよ。そうして開いているページを見ているうちに、「意外と本って楽しいんだな」ということに気づいたという経緯がありました。

──もともと読書家だったというわけではないのですね。

荒木:はい。その中に有島武郎がいて、彼の文章にすごく惹かれたんです。彼の文章って“バタ臭い”んですよ。英語の文章を日本語に翻訳した文章なので、ある意味で日本語として拙い、ゴツゴツした感じがする。そういった“異物感”が思春期の私にとっては惹かれるポイントでした。それは今でも同じで、わかりやすいものに対してはあまり興味が持続せず、よくわからないものに対してはなんでこんなものがあるんだろう? 私がわからないのはなんでなんだろう? という問いを深めていける。そういう姿勢は私が「研究」に魅せられていったことと同じだと思います。

──研究心がありつつも修士課程ののちは大学に所属しなかったということですが、大学での面談の際に、「漁師になりたい」と答えられたそうですね。

荒木:当時から大学教授になりたいとも思っていないし、なるのは無理だろうと思っていたんです。有島武郎が漁師の話を書いているので、そう言っておけばそれっぽいかなと。とにかくそこでは教授じゃなければなんでもいいっていうことが言いたかったんですよ。

──そこから個人で「在野研究者」として活動され文章を書かれるわけですね。『これからのエリック・ホッファーのために────在野研究者の生と心得』(2016年・東京書籍)を拝読しましたが、僕自身大学院に行くことなく今に至りながらも、自分なりに文化的な部分を支えられればと思って働いているので、すごく勇気をもらいました。LOFTにも「在野」で活動している方がたくさん出てくださっているというのもあります。

荒木:余談ですが、実は当時の私としてはこのタイトルは反対で、担当編集者の上司がエリック・ホッファー好きでこれならいけるということだったんです。在野研究そのものに市場価値は無いとされたんですね。ですので今回の『在野研究ビギナーズ』というタイトルは個人的によくやったと思っているんです。話を戻してエリック・ホッファーですが、彼はアメリカの哲学者で、7歳で視力を失い、両親とも死別をして一人で生きていくという困難を経て成長していくんですが、沖仲仕(おきなかせ)という港の荷物を引き揚げる肉体労働に就きつつ、いろんな本を読みながら自分自身の思索を深めて『大衆運動』という著作を書いて一目置かれる「在野研究者」になりました。

──こうして在野研究に関する出版物に大きな反響があることにはどのようにお感じでしょうか。

荒木:うーん…。…まず第一に、在野研究に市場価値はあったということを証明できてよかったですね(笑)。それとは別に両義的な感情があります。ひとつは、本を出して想定以上に多くの読者に恵まれたことはとても嬉しいです。一方で、どうして在野研究が人々に求められているかという点で、今大学を利用するということが難しいという“貧しさ”によって求められているという側面もあると思います。この状況自体は諸手を挙げて歓迎すべきことではないと思うし、それに対してはもっとマクロで社会政策的な解決方法が求められています。そしてその展望が果たして明るいかと問われるとそうではないだろうと思います。

ひとがそれだけだと手に取らないものを人々に届けられたときには喜びを感じる

荒木:今の心境としては「在野研究」というタイトルの本はもう書かないのかなという気がしています。それだけ今回の本に詰め込むことはできたので、とりあえずはこの本を読んでほしいと思っています。

──「新書よりも論文を読め」というタイトルでYoutube動画を200本近く上げられているのも気になります。

荒木:研究者として他人の論文も読まなきゃいけないだろうと思っているのですが「発表する」という外的な制約を課すことがかなりモチベーションの面でメリットがあると感じています。また、web上でPDFの論文を割と簡単に読めるというのはすごいことで、より知的なものを吸収するのに論文はいいぞということを広めるのは研究者のひとつの役割だと感じています。

──PDFのままだとなかなか一般的にアクセスしにくいかもしれませんが、Youtubeというメディアから繋いでもらうことでハードルが下がると思うので、重要なことをされていると思います。

荒木:私の活動で、ひとがそれだけだと手に取らない、エッジの効いたもの、コアなもの、マイナーなもの、それを人々に届けられたときには喜びを感じますね。

──そのうちの一つなのかも知れませんが「反出生主義」について言及されることが多いと思います。「反出生主義」とはどのような思想のことでしょうか?

荒木:デイヴィッド・ベネターの『生まれてこない方が良かった』というすごいタイトルの本で唱えられていたのが反出生主義という倫理学の立場です。人間は生まれてきた時点で少なからずなんらかの害悪を被る可能性があり、であればそもそも産まない方が良いのではないか? ということです。つまり、“産まない”という選択をすると、プラスもマイナスも最初からないが、“産む”という選択をすると様々な快楽や幸福などプラスの可能性もあるけれど、同時にマイナスのリスクも負わなければならないから、他者(子供)をこのような偶然性に晒すのは倫理的に良くないのではないかという考え方です。私が最初に書いた本で扱った作家・埴谷雄高もまた、生まれてくることそれ自体に不幸と暴力の根源がある、だから我々は生まれてこない方が良いのではないかというものなので興味を持ちました。

──なんとなく言ってはいけないことのような感じはしますが、そもそも我々が存在していることが何かのバグでこうあるべきなんてものは無い、という風にも捉えられるのかなと思います。気が楽になる人も多いのではないでしょうか。

話しているとそれが書くことに返っていく

──今回荒木さんにはトークイベントをお願いする形になりますが「話す」ということに対してはどのように向き合われていますか?

荒木:やはり話していると書くのとは違うリズムが生まれて、それが書くことに返っていくと思うので意義があると思っています。

──相互補完的な関係になるといいですよね。

荒木:私の感覚では、やっぱり文章を読んでほしいというのがあるんですよ。私の声は文のための導入としてあるつもりなので、いかに書き言葉に導いていくかというのが私個人の問題意識としてあります。なので今回のイベントに来てくれる方も、新宿の紀伊国屋で私の本を買って読んでくれたらいいなと思いますね。

──きっかけになるようなイベントができるといいですね。楽しみにしています。

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