現在ジョゼップ・グアルディオラ監督に率いられて世界屈指のクラブとなっているマンチェスター・シティ。大きな経済力を備え、さまざまな国のサッカーに投資している。
今回は『Squawka』から「マンチェスター・シティに所属していたことが忘れ去られている選手たち」をご紹介する。
ダニエル・スターリッジ
シティでの出場数:32試合
得点:6ゴール
間違いなくイングランド・プレミアリーグの名ストライカーである。チェルシーでカルロ・アンチェロッティの下で優勝を経験。その後移籍したリヴァプールでも長く活躍を見せ、怪我に悩まされるようになってからも出場すればゴールを決めた。
ただ、だからこそ彼がデビューしたのがマンチェスター・シティであることは忘れ去られがちだ。下部組織から2006年に昇格し、3シーズンで32試合に出場、6ゴールを決めた。
大量補強の煽りを受けてチームを離れてからは…もちろん知っての通り、イングランドのエースに成長していく。
カスパー・シュマイケル(レスター・シティ)
シティでの出場数:10試合
得点:0ゴール
かつては「ピーター・シュマイケルの息子」であったが、今やレスター・シティの絶対的な守護神だ。成長を遂げた「二世」がキャリアを始めたのはマンチェスター・シティである。
16歳からシティの下部組織で育成されトップに昇格したが、それからはダーリントン、ベリー、フォルカーク、カーディフ、コヴェントリーとさまざまなクラブにローン移籍を経験することに…。
ノッツ・カウンティに完全移籍した後、リーズを経てレスター・シティに流れ着くと…そこからの活躍は説明するまでもない。
デニス・スアレス(セルタ・デ・ビーゴ)
シティでの出場数:2試合
得点:0ゴール
セルタの下部組織で育ったデニス・スアレス。バルセロナの印象が強いものの、2011年に加入したのはマンチェスター・シティだった。
そこでは2年を過ごしたもののトップでは1回も出番がなく、2013年にバルセロナのBチームへと移籍。セビージャへのローン、そしてビジャレアルへの完全移籍を経てバルセロナに買い戻されるというキャリアを送った。
ただ、昨年のアーセナル移籍では大失敗。今季は古巣であるセルタに戻って再起を図っている。
アドリアン・ラビオ(ユヴェントス)
シティでの出場数:0試合
得点:0ゴール
パリ・サンジェルマンで若くして出場機会を獲得し、数少ない生え抜き選手として活躍した優雅なボランチ。代理人を務める母ヴェロニクがかなり曲者であることでも有名だ。
彼は2008年にフランスからマンチェスター・シティのアカデミーへと移籍したものの、かなり短期間で母国に戻ったという経験がある。
そして15歳からパリ・サンジェルマンの下部組織でプレーし、カルロ・アンチェロッティ監督に評価され台頭していった。
ロニー・ロペス(セビージャ)
シティでの出場数:5試合
得点:1ゴール
2014年に行われたUEFA U-19選手権で準優勝に輝いたポルトガル代表のウインガー。現在はセビージャでプレーしている。
彼はベンフィカのユースから2011年に16歳でマンチェスター・シティへ。カップ戦で5試合起用されたもののプレミアリーグでは出番がなく、リールへのローン移籍で存在感を発揮した。
モナコで中心選手となった後、今季はスペインの強豪セビージャへ。リーガではやや苦戦しており、まだほとんど出番がない状況だ。
ヨン・グイデッティ(ハノーファー96)
シティでの出場数:1試合
得点:0ゴール
スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が率いていたころのマンチェスター・シティが獲得したスウェーデン人の若きストライカー。15歳でイングランドへとやってきた。
プロマポイカルナやバーンリー、フェイエノールト、ストーク・シティ、セルティックとさまざまなクラブにローン移籍を繰り返し、最終的にはセルタ・デ・ビーゴに売られていった。
今季はアラベスに所属していたものの、1月にドイツ2部のハノーファー96に貸し出されている。まさに「ジャーニーマン」というべき移籍の繰り返しだ。
ロリス・カリウス(ベシクタシュ)
シティでの出場数:0試合
得点:0ゴール
ドイツ出身のイケメンゴールキーパー。リヴァプール(あるいはマインツ?)の印象が極めて強い選手であるが、実は彼が最初にプレーしたイングランドのクラブはマンチェスター・シティである。
ユース代表でドイツのゴールマウスを守っていた彼は、シティのスカウトの誘いで2009年にイングランドへ。U-18~21のチームでプレーし、英語も学んだ。
その経験がリヴァプールでの活躍に生かされると思った者も多かったわけだが…。
ベン・ミー(バーンリー)
シティでの出場数:1試合
得点:0ゴール
バーンリーで活躍を続けるイングランド代表DF。屈強で粘りがある本格派センターバックとして知られる。
彼は2008年にFAユースカップを優勝したマンチェスター・シティのアカデミーでキャプテンを務めていた選手だ。2012年まで契約を結んだが、レスター、バーンリーへのローン移籍を経験し、そのまま退団していった。
キーラン・トリッピア(アトレティコ・マドリー)
シティでの出場数:0試合
得点:0ゴール
イングランド屈指の右サイドバックとなったキーラン・トリッピア。彼がマンチェスター・シティに加入したのは1999年であり、その時はまだ9歳だった。
FAユースカップを優勝するなど下部組織では活躍したものの、トップチームでプレーできるチャンスはバルセロナとの親善試合のみ。ローン移籍したバーンリーでのプレーで才能を開花させた。
後に、奇しくもシティへ移籍したカイル・ウォーカーの後釜としてトッテナムに加入。これによって彼は同国最高レベルの選手として評価されるようになった。
パブロ・マリ(アーセナル)
シティでの出場数:0試合
得点:0ゴール
スペイン人のパブロ・マリは、ヒムナスティック・タラゴナから2016年の夏にマンチェスター・シティへと加入した。しかしながらも最終ラインで出場できるチャンスはわずかしかなく、ジローナやNACブレダなどに貸し出されたあとに退団することに。
その後ブラジルの強豪フラメンゴに加入するという珍しいキャリアを歩み、コパ・リベルタドーレスで大活躍。今年1月にはアーセナルに引き抜かれ、再びプレミアリーグでの挑戦に向かうこととなった。