野村克也さん涙の理由 「駄目なんだよね」語った母への思いとは

ベースボールギャラリーを見学する野村克也さん(2018年3月16日、京都府京丹後市網野町)

 プロ野球の南海ホークスで活躍し阪神などで監督を務めた野村克也さん=京都府京丹後市網野町出身=が84歳で死去した。日本海に面した丹後半島の網野町で育ち、父を亡くして新聞配達をしながら家計を助けた野村克也さん。2009年11月21日に京都府京丹後市の市制5周年記念式典で名誉市民顕彰を受けた際、野村さんはあいさつ中に涙をこぼした。その後の記者会見で涙の理由を説明し、母への思いを語っていた。

◇ まいった。何でだろう。涙もろいなあ…。墓参りしたのが悪かったな。母親がからむと弱いんですよ。子どもの時からずっと、母親の苦労する姿ばかり見て育ってきたものだから、余計に母がからんでくると、駄目なんだよね。どうしようもない。おふくろっ子だからな。みなさんも何の涙か、みんな分かんなかっただろうと思うけど、母親の涙です。

 苦労ばっかりしてる母親を早く楽させてやりたいと、少年時代は金持ちになることばっかり考えてました。南海に入って安月給の時に毎月千円送ってやってたんですけど、のちのち、生活費として月何万円って送金してやれるようになって。

 おふくろも働くのをやめて、のんびりとしてる時代にぼそっと言ったのは、「今の何万円よりも、給料が安いときの千円の方がうれしかった」って。親としてみりゃそうかな。親孝行っていうのはそういうもんかなって思いましたね。

 (故郷・丹後の子どもたちに)夢を持って、希望を持って生きるということが大事。大きくなったら何になりたいっていう、はっきりとした目標と夢をもって生きること。僕がそうでしたから。

© 株式会社京都新聞社