沖縄の平和運動のリーダー・山城博治さん(67)の半生には、沖縄の苦悩、悲哀、そして希望が詰まっている。辺野古新基地建設を巡る埋め立ての賛否を問う県民投票から、24日で1年。故郷の過去、今、そして未来を聞いた。
2019年10月31日午前6時24分。共同通信から携帯電話に届くメッセージの着信音で目覚めた。
〈那覇の首里城正殿がほぼ全焼〉
私は眠気が吹き飛んだ。確認すると、4時14分に一報があった。
〈首里城の正殿と北殿がほぼ全焼、南殿も炎上〉
〈首里城の南殿もほぼ全焼〉
〈那覇市が災害警戒本部を設置〉
刻々と続報が入る。映像を見ると、紅蓮(ぐれん)の炎が暁の空を赤く染め、燃え上がる建物が次々と崩落していった。
「琉球」のアイデンティティーを誇りとする沖縄の人々にとっての首里城(那覇市)は、本土におけるいかなる建造物にも例えられない存在だ。アイデンティティーを具現化し、世界の懸け橋たる「万国津梁(りょう)」「守礼の邦」「非武の島」を体現した心の拠(よ)り所(どころ)といえる。沖縄戦で焼失したが復元され、戦禍からの復興の象徴でもあった。沖縄の悲鳴が、慟哭(どうこく)が聞こえるようだった。
知人の顔が浮かんでは消える。落ち着いた頃を見計らいメッセージを送ると、返信があった。
〈言葉がありません。痛恨の極みとはこんなことを言うんでしょうか〉
〈いろいろな意味で政府の圧力に耐える日々を強いられているさなか、崩れ落ちる沖縄の暗示にならなければと悲観的にもなったりしますが、でも県民はこの悲しみにも耐え乗り越えてまた前進していくものと信じています〉
メッセージの主は、山城さん。その言葉は、あの日と重なった。
やましろ・ひろじ 1952年、沖縄県具志川市(現・うるま市)生まれ。法政大卒業後、沖縄県庁に入庁し、駐留軍従業員対策、不発弾対策、海邦国体事務局、県税事務所など。県職労北部支部長、組合専従となり、2004年に沖縄平和運動センター事務局長、13年から同議長。米軍北部訓練場のヘリパッド建設、普天間飛行場へのオスプレイ配備、辺野古新基地建設、南西諸島への自衛隊配備強化など沖縄での反基地運動の先頭に立つ。