歴史愛好家150キロ踏破 三郎助の足跡たどる

 幕末のペリー艦隊来航時に黒船に初めて乗り込み米側との折衝に当たった浦賀奉行所与力、中島三郎助(1821〜69年)の足跡をたどる西伊豆へのウオークに、横須賀市内の歴史愛好家が挑戦した。年末年始の4泊5日、同市浦賀から約150キロのルートに5人(一部を含む)が参加した。

 三郎助は1855(安政2)年3月、ロシア人と日本人が協力して建造した洋式帆船ヘダ号を見学するため、西伊豆の戸田村(現在の静岡県沼津市戸田)を訪れた。同船は同県富士市沖で沈没したロシアのディアナ号乗組員が帰国するために建造された。三郎助が得意とする洋式船の技術を学ぶ旅だったとされる。

 当時の見聞記「南豆(なんず)紀行」に記された往路のルートを、歴史サークル中島三郎助と遊ぶ会(大内透会長)のメンバーらが忠実にたどった。昨年12月31日に浦賀を出発。藤沢、小田原、箱根、修善寺に宿泊し1月4日、戸田に到着した。

 全ルートを歩いた遊ぶ会の齋藤秀一さん(50)は「三郎助の実像に触れたかった。東海道・箱根の石畳は脚がこたえた。病弱の身には厳しい旅だったはず」と思いをはせた。

 三郎助は日本初の西洋式軍艦「鳳凰丸」の建造に尽力、勝海舟らと航海術を学んだ歴史的人物。幕府崩壊後は、榎本武揚らと「箱館戦争」に参加し49歳で亡くなった。23日には誕生日(1月25日)にちなんだ中島三郎助まつりが、横須賀市浦賀の住友重機械工業機関工場内で開かれる。

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