『ワンハリ』ファン必読! タランティーノとジャンゴとマカロニ魂!! 祝リバイバル上映『続・荒野の用心棒』

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

社会&歴史の“矛盾”や“恥部”へ斬りこんだジャンゴな男たち~セルジオ・コルブッチとクエンティン・タランティーノ

セルジオ・コルブッチ監督の『続・荒野の用心棒』(1966年:原題『DJANGO』)が4Kリマスター版で再公開されている。公開時は『続 荒野の用心棒』(「・」=ナカグロなし)だったし、クエンティン・タランティーノが主人公の名と同じ主題歌を使った『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012年)が世界中で大ヒットしたことから、てっきり「ジャンゴ 棺桶を運ぶ者」か「ジャンゴ 続 荒野の用心棒」みたいな題名になるのかと思ったら、『続・荒野の用心棒』(「・」あり)となった。なんでやねん……。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

ま、それはともかく、クエンティン・タランティーノは元祖ジャンゴ俳優フランコ・ネロにローマで初めて会った際、ジャンゴのセリフを暗唱し、テーマ曲「さすらいのジャンゴ」を熱唱したそうだ。そして、ネロは『ジャンゴ 繋がれざる者』に奴隷商人のひとりとして特別出演。新ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)に名を訊き、「(DJANGOの)Dは発音しない」と説明され「知ってる」と答える。実はアメリカでは「D」のない『JANGO』の題名で公開されたことがあるのだが、そのことを知ってかしらずかのタランティーノ・ギャグは、日本における「・」があるかないか論争と同じようなものか……。

『用心棒』も『続・荒野の用心棒』も『ジャンゴ 繋がれざる者』も、オープニングは同じだ!

西部劇だというのに、主人公が馬にも乗らず、泥だらけの荒野を棺桶を引きずって歩いて登場する『続・荒野の用心棒』のメインタイトル場面は、世界映画史上最も有名なオープニング・シーンのひとつだろう。主人公の背中をアップで捉えるカメラアングルは、実は黒澤明の『用心棒』(1961年)とまったく同じなのだが、コルブッチは途中でカメラを下へ向け、泥だらけの棺桶とジャンゴの足元を見せながら、真っ赤な文字でタイトルを出す。タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』は、ムチ打ちで傷だらけの奴隷たちの背中。もちろんでっかいタイトル文字は真紅だ。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

こうして、『続・荒野の用心棒』の主人公ジャンゴを黒人奴隷に代えた『ジャンゴ 繋がれざる者』は、ガンマン・ジャンゴの成長物語に続いてアメリカ南部の奴隷制度の不正と残虐性を暴いていくことになる。ジャンゴの師匠となるキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)との修行場面は、リー・ヴァン・クリーフがジュリアーノ・ジェンマをガンマンに仕込むマカロニ・ウエスタンの名作『怒りの荒野』(1967年)を思わせるし、雪山が登場するのはセルジオ・コルブッチのもうひとつの代表作『殺しが静かにやって来る』(1968年)へのオマージュだろう。

そして、タランティーノは奴隷問題を直視した衝撃作『マンディンゴ』(1975年)の世界を再現したあと、『続・荒野の用心棒』と『黒いジャガー』(1971年)を合体させたかのようなニュー・ヒーローたる新ジャンゴが、人種差別主義者の農園主(レオナルド・ディカプリオ)たちを徹底的にやっつける、痛快にして爽快なクライマックスを用意する。

そもそも、『マンディンゴ』はイタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが仕掛けた作品で、奴隷問題を告発する気などさらさらなく単に興味本位で作られた、いわゆるプロイテーション映画だ。カネになることなら何でもやるラウレンティスは、『続・荒野の用心棒』を撮り終えたばかりのコルブッチにバート・レイノルズ主演で『さすらいのガンマン』(1966年)を撮らせた男でもあった。

自国の“矛盾”や“恥部”へジャンゴと共に斬りこんだコルブッチとタランティーノ

マカロニ・ウエスタンがなかったら、香港映画も黒人アクションものも生れなかったのではないかという論考は長くなるので割愛するが、レゲエ映画『ハーダー・ゼイ・カム』(1973年)で、『続・荒野の用心棒』のジャンゴのガトリング・ガン(手持ち機関銃)に熱狂するジャマイカの青年たちが描かれたように、「ジャンゴ」は常に、多勢に無勢、傷つき、虐げられ、逆境に瀕し、崖っぷちにして危機一髪の男が、最後の最後に逆転する「ヒーロー」の物語だった。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

タランティーノは、自分の国の恥部=奴隷制度へジャンゴと共に斬りこんだ。そのアイディアの源泉は『続・荒野の用心棒』に登場した、真紅のマスクをつけた殺し屋たちの姿だったに違いない。コルブッチは、たんに「殺し屋役のエキストラ俳優たちがメキシコ人みたいな奴しかいない」から白人に見せかけるためにクー・クラックス・クラン(KKK=白人至上主義の秘密結社)のようなマスクをかぶせただけだった。そもそも、ジャンゴの時代にはまだKKKは生まれていない(少なくともメキシコ・テキサスの国境付近には)。コルブッチとしては、どうせガトリング・ガンでなぎ倒すだけなので、マスクさえ被せておけば誰でもよかったのだ。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

『続・荒野の用心棒』でガトリング・ガンや赤いマスクの殺し屋たち以上に有名なのが、悪の手先になっている「神父」の耳を切断して食わせ、背中から撃ってぶっ殺す衝撃シーンだ(イタリアでは政府からカットを命令されたが、プロデューサーはマスコミ試写版だけ問題場面を削除し、映画館ではそのまま上映してしまったらしい)。このバチカンを擁するカソリック大国イタリアで、コルブッチがやってのけた神をも恐れぬ大胆な描写が、どれほど人々に勇気を与えたのかは、我々日本人にはなかなか想像ができないことかもしれない。第二次大戦下をローマで暮らしたコルブッチは、カソリック総本山が抱える矛盾や偽善に対して何か物申したい気持ちがあったに違いない。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

タランティーノは、すでに監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(1991年)でまったく同じ耳そぎシーンを再現してオマージュを捧げているので、『ジャンゴ 繋がれざる者』では耳は切らない。とはいえ、彼がアメリカで、自国の奴隷制度の残虐性を堂々と娯楽映画として描いた勇気は、ローマっ子コルブッチの“アンチ・クライスト”な姿勢に影響されていたことは間違いない。これぞ「ジャンゴ魂」として称えられるべきことだろう(実際問題アメリカでは「“ニガー”という言葉の使用が多すぎる」と『ジャンゴ 繋がれざる者』を非難する人権派がけっこういたらしい。「悪」を描かなければ「悪」を糾弾することなどできないのに、何をバカな言葉狩りをしているのかねえ……)。

ジャンゴのモデルはギタリスト“ジャンゴ・ラインハルト”ではない!?

セルジオ・コルブッチは、低予算のマカロニ・ウエスタンとして『続・荒野の用心棒』を撮った。彼にとって4作目にして初めてアメリカ人俳優が主演しない西部劇だったのだ。予算がないので、雪山へは行かずに泥だらけのオープンセットで撮影し、機関銃もハリボテだった。それでも、コルブッチは弟ブルーノ・コルブッチと共にアイデアをぶち込んだ。『用心棒』そっくりの物語に、アンチクライストな耳そぎシーン、女たちの泥レス、赤いマスクの殺し屋たち、棺桶に隠された秘密兵器、数えきれない死体の山……。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

低予算の上に準備期間もなかったため、撮影と同時進行で脚本が書かれていったという。公式・非公式に脚本に加わったのはフランコ・ロゼッティ、フェルディナンド・ディ・レオ、ホセ・G・マエッソなど6人にも及び、彼らの毎朝の挨拶は「昨日、何人殺した?」だったという。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

そもそも「ジャンゴ」の名前は、左手の一部が火傷で自由に使えなかった伝説のスーパー・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトから採られているということになっているが、イギリスに初めて『続・荒野の用心棒』を紹介し、世界で初めてマカロニ・ウエスタンにオマージュを捧げた映画『ストレート・トゥ・ヘル』(1987年)を作った映画監督アレックス・コックスによると、どうもそうではないらしい。

コックスいわく「ジャンゴ」は、ブラジルで初めて民主的に大統領に選ばれた左翼系大統領ジョアン・グラールがモデルだという。ゴラールは「ジャンゴ」とあだ名で呼ばれるほど民衆に人気があったが、アメリカがバックについた軍部クーデーターによって1964年に失脚させられた。世界各国の新聞を購読していたといわれるコルブッチは、それほど深い意味もなく「ジャンゴ」の名をいただいたのかもしれないが、「ジャンゴ」の名前は独り歩きしていった。そして、誰かが言い出したに違いない。「どうせジャンゴなら、ジャンゴ・ラインハルトみたいに指が使えなくなるってのはどうだ?」― そして、ジャンゴは両手を馬に踏みつぶされることになったのだ(予想)。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

たしかに、最初からジャンゴ・ラインハルトがモデルだったとしたら、ジャンゴの最大の武器は“超早射ち”だったはずだ。しかし、ジャンゴの武器はガトリング・ガン。おそらく脚本チームは、最後の墓場の決斗シーンにガトリング・ガンを再登場させるアイデアを練ったに違いない。結果的には、つぶれた指と歯でコルトを分解して戦うという前代未聞にして痛快無比のクライマックスとなった。アーメン。しかし、脚本家のひとりフランコ・ロゼッティはフランコ・ネロが出ていない“続編”『皆殺しのジャンゴ/復讐の機関砲(ガトリングガン)』(1968年)で、墓の中からガトリング・ガンが登場する場面を用意した(前に一度書いていたから楽だったに違いない)。ちなみに、その場面はそのまま『ターミネーター3』(2003年)でアーノルド・シュワルツェネッガーが棺桶を担いでガトリング・ガンを射ちまくる場面へと引き継がれた。

『ワンハリ』でも偉大なコルブッチにリスペクトを捧げたタランティーノ

これらの追随作は、特にコルブッチへの敬意は示されていないが、タランティーノ監督だけは違った。2019年になっても『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にコルブッチらしき人物を登場させ、アル・パチーノに「世界で2番目に偉大なマカロニ・ウエスタンの監督」と紹介させ、レオナルド・ディカプリオ演じるハリウッドのテレビスター、リック・ダルトンがセルジオ・コルブッチ作品「ネブラスカ・ジム」に主演するという、まるで本当にあったかのようなマカロニ出稼ぎ物語を語りつつ、世界映画史においてマカロニ・ウエスタンがいかに重要な役割を果たしたのかを、あらためて世界中の映画ファンに指摘したのである。

クエンティン・タランティーノが生まれたころに最初の西部劇『グランド・キャニオンの大虐殺(劇場未公開・TV放送)』(1964)を撮っていたセルジオ・コルブッチは、12本のマカロニ・ウエスタンを含む60本以上の娯楽映画を作り続け、1990年に62歳で世を去った。

『続・荒野の用心棒』© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

文:セルジオ石熊

『続・荒野の用心棒』は2020年1月31日(金)よりシネマート新宿にて公開中、全国順次ロードショー

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