レベッカの「フレンズ」と「MOON」NOKKOも描いた母娘の確執 1988年 2月26日 レベッカのシングル「MOON」がリリースされた日

ママが目撃!神社の境内で彼氏とキス

高2の時、デートの帰り、遅くなったので彼氏に送ってもらって、家の近所にある神社の境内でキスをした。向こうから誰かがやってきたので、彼氏の肩越しに目を開けて見ると、母だった。

その距離、2メートルくらい、キスをしている私と目が合うと、「何をやってるの?」と冷たく言った。そして、そのままくるりと後ろを向いて、帰ってしまった。「ママだ!」と言うと彼氏は、「一緒行って、謝ろうか?」と言ったが、「何を謝るの? 大丈夫」と言ってひとりで帰った。

しかし、大丈夫ではなかった。その日から1週間、母は口をきいてくれなくなった。学校に持っていくお弁当も作ってくれなかった。学食でパンを買う毎日、味に飽きたしお金も尽きてきた。最初は「キスくらい何が悪い」と思い抗戦体勢の私だったが、生活に不便が生じ、そして今までにないくらい母が「ガチ」で怒っていることが怖くなり、自分から話しかけた。

レベッカの「フレンズ」とは逆… ママが私の顔を見れなくなった!

キッチンにいた母は、私の顔を見ないまま「ママは、嫌なの」と言った。私はどうしようもなくて、「ごめん…」と言った。母はその時、泣いていた。私の顔を見ないで、つーっと涙を流していた。いったい何がそこまで「嫌」なのか、わからなかった。

レベッカの「フレンズ」で NOKKO は、「♪ 口づけをかわした日は ママの顔さえも見れなかった」と歌った。うちは、口づけをかわした日から、ママの方が私の顔を見れなくなってしまったのか。母に便宜上「ごめん…」と言ったものの、当時はぶっちゃけ、「うざい」と思った。いつも母の顔色をうかがうように生きるのなんて、まっぴら、はやく大人になって、勝手にやらせてもらいたかった。

NOKKO もあんなに強く、自由で、伸びやかに歌いながらも、「ママ」の存在は気になるものらしく、いくつかの歌で母親に言及している。「フレンズ」ではキスをしたことに遠慮しつつ、「When A Woman Loves A Man」では「うるさいママたちにだってきっと燃えるようなロマンスあるはず」と歌っていた。

NOKKO が歌う「MOON」とは母親のこと?

そして9枚目のシングル「MOON」は、「昔ママがまだ若くて 小さなあたしを抱いてた 月がもっと遠くにあった頃」から始まる。小さかった娘は思春期になりワルになって盗みを覚え、恋を覚え、想い出ひとつも持たずに家を飛び出してしまう。そしてサビで NOKKO が、痛みをこらえるようにこう歌う。

 こわしてしまうのは 一瞬で出来るから   大切に生きてと 彼女は泣いた  MOON あなたは 知ってるの  MOON あなたは 何もかも  初めて歩いた日のことも

ここで泣いた「彼女」、何もかも知っている「MOON」=月は、母親のことなのだろう。当時聞いた時は、母は何でもお見通しってことだな、NOKKO もママの呪縛に苦労したのかな、しかしこの歌マドンナの「パパ・ドント・プリーチ」そっくり、あれのママ版かな… くらいにしか感じなかった。

自分が母親になってわかったママの涙の理由

2017年にレベッカが再結成をし28年ぶりのツアーをやると聞いて、なんとなく懐かしくてこの歌を聞いた。じつに29年ぶりにこの歌を聞いた私は、まるで変っていた。「娘のいる母」になっていたからだ。以前は「娘」側として聞いていたのに、「ママ」側として聞いてしまうとたまらなかった。

抱っこしていた小さかった娘、やっと立った、歩いたと喜んでいた、ずっと近くで見ていた娘。その娘が「女」になっていくこと、自分から離れていくこと、それは喜ぶべきことなのかもしれない、しかし自分の身体の一部をもぎとられるようにも感じる。息子への感情と違う、それは同性の「母娘」ならではの感情ではないか。思いのありどころが、「近い」のだ。

最近娘が「ママは何歳で初めてデートした?」などと聞いてくる。恋やデートに憧れる年頃になってきた。私は仕方なく「そんなに急がなくてもいいと思うよ」と答えている。母が私のキスシーンを見てしまい、「ママは嫌なの」と泣いた意味が、今ならわかる。娘が「女」になっていくことを目の当たりにするなんて、それはとてつもなく「嫌」だったろう。

もしそんな日が来たら、私ならどんなリアクションをするだろう? 「壊してしまうのは 一瞬で出来るから大切に生きて」と私も泣くかもしれない、と思って泣きそうになった。

※2017年7月16日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 上村彰子

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