17歳亡き息子、仲間と卒業式 母「生きる力ありがとう」

崇人さんの写真を持ち、遺骨が入ったペンダントを付けて卒業式に臨んだ母親の美和さん=横須賀市稲岡町の横須賀学院高

 亡き友も、卒業は一緒に-。横須賀学院高(神奈川県横須賀市稲岡町)が2日開いた卒業式に、昨年6月5日に骨肉腫のため、17歳の若さで天国へ旅立った齋藤崇人さんの母の姿があった。式は新型コロナウイルスの拡大防止のため規模を縮小しており保護者の出席はなかったが、同校は母美和さん(53)=横須賀市=を特別に招待。美和さんが、卒業生への告辞を読み上げる同校の川名稔校長(61)に託した言葉は「崇人に生きる力を与えてくれてありがとう」だった。

 「崇人のつもりで臨む」。美和さんは崇人さんの写真を持ち、遺骨を入れたペンダントをつけて出席し、卒業生と共に校歌や賛美歌を歌った。川名校長が崇人さんのことを紹介すると「学校生活を送っていた崇人の様子を走馬灯のように思い出した」と遠くを見つめた。

 式が終わると、崇人さんの元級友やソフトテニス部の仲間が、美和さんの元に駆け寄ってきた。美和さんは「最後に助けてくれるのは人。つらいこともきっと乗り越えられる。崇人がそうだったから」と支えてくれた友人たちに思いを伝えた。

 常に笑顔で前を向き、重い病気を抱えていると感じさせず、人を気遣う-。崇人さんは最後まで希望を捨てず、生き続けた。

 「学校が楽しくて仕方がないという様子だった」と美和さんが振り返るように、国立大に進学して海洋生物の研究をする夢を抱き、日々勉強や部活動に励んでいた。そんな崇人さんが「左膝が痛い」と打ち明けたのは、1年時の夏のことだった。

 少々のけがでは休まなかった部活動を休んだ。病院で検査を受けた結果、骨肉腫と診断された。15歳にとってはつらい現実だったが、「(病気になるのが)お母さんじゃなくて良かった。お母さんだったら耐えられないでしょう?」とつぶやいたという。

 入退院を繰り返しながら抗がん剤治療や手術を受けても、「俺にとって学校がワンダーランド」と松葉づえをついて登校した。2年時の文化祭の準備では「朝は誰よりも早く来て、放課後も残って、自ら先頭に立ってやっていた」と友人の原海莉さん(18)と小保方萌々さん(18)は話す。亡くなる直前まで笑顔を絶やさなかった。

 崇人さんの幼い頃の写真を卒業アルバムに一緒に載せたいと友人らが申し出たことをきっかけに、美和さんが卒業式に招待されることになったという。美和さんは「幸せだった。しばらく時が止まっていたが、今日崇人が仲間と一緒に卒業できたように感じた」と一区切りついた様子だった。

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