戦争の悲惨さを伝えたい―。宮崎市青島西2丁目の金丸鋼造さん(87)は県内の学校などで、太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が、米潜水艦に撃沈された事件について伝え続けている。惨禍を生き延びた亡き友のために10年前から講演を行っており、これまでに125回登壇。昨年8月には対馬丸記念館(那覇市)から、県内で唯一の語り部として感謝状が贈呈された。
対馬丸、悲劇語り125回 宮崎市・金丸さん
- Published
- 2020/03/04 19:25 (JST)
戦争の悲惨さを伝えたい―。宮崎市青島西2丁目の金丸鋼造さん(87)は県内の学校などで、太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が、米潜水艦に撃沈された事件について伝え続けている。惨禍を生き延びた亡き友のために10年前から講演を行っており、これまでに125回登壇。昨年8月には対馬丸記念館(那覇市)から、県内で唯一の語り部として感謝状が贈呈された。
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