マンチェスター・ユナイテッド「史上最高のFWコンビ」BEST5

長くイングランドのサッカー界で看板となるようなクラブとして君臨し続けるマンチェスター・ユナイテッド。

このところは苦戦しているものの、これまで多くの優秀なアタッカーがクラブで活躍し、様々な「点取り屋コンビ」が生まれてきた。

今回は『Sportskeeda』から「マンチェスター・ユナイテッドの歴史上最高のFWパートナーシップ」をご紹介する。

エリック・カントナ&マーク・ヒューズ

マンチェスター・ユナイテッドがプレミアリーグを支配していた時、それを導いた「帝王」エリック・カントナ(写真上)。1992年11月に加入すると、アレックス・ファーガソン監督が求めていた点取り屋としての役割を十二分に果たした。そのシーズンは彼が来てから2試合しか負けなかった。

そして、そのカントナと型破りなパートナーシップを結んだのがマーク・ヒューズ(写真中)だった。1988年にバルセロナからマンチェスター・ユナイテッドへと戻ってきた彼は、自分のキャリアを復活させた。

この二人がともにプレーしたのはわずか2年半あまりだったが、クラブの歴史上でも最も決定的な攻撃部隊の一つだった。

マーク・ヒューズは「私ならカントナのカンフーキック事件を止められたかもしれない…」と友人の愚行について話していた。その時、彼は怪我でピッチにいなかったのだ。

ウェイン・ルーニー&クリスティアーノ・ロナウド

クリスティアーノ・ロナウド(写真下)とウェイン・ルーニー(写真中)のパートナーシップは、5シーズンに渡ってプレミアリーグを輝かしいものにしたといえる。マンチェスター・ユナイテッド史上最高クラスのデュオを形成していた。

2004年の夏にルーニーがユナイテッドにやってきてから、この二人はともにプレーし始めた。ロナウドはすでにチームの一員となっており、鋭いドリブルでファンを沸かせていた。

1年目はルーニーが点を取る役割だったが、後にそれは逆になっていった。そして2007-08シーズンには二人で60ゴールを決めている。

ロナウドがレアル・マドリーに去るまでの5シーズンで、彼らは3つのリーグタイトル、2つのリーグカップを獲得。クラブワールドカップとチャンピオンズリーグも制覇した。

スタン・ピアソン&ジャック・ローリー

第二次世界対戦を乗り越えた伝説のパートナーシップだ。1937年にマンチェスター・ユナイテッドで出会った10代のピアソン(写真上)とローリー(写真下)は、後に両者ともに300試合以上に出場するストライカーとなった。

ピアソンは従軍のためにキャリアを中断し、リーグ自体も開催が差し止められる状況が続いたものの、戦後は再び彼らがピッチの中で輝きを見せた。

マット・バズビーの指導の下でこの両者のパートナーは世界最高クラスの前線となり、1950年代までクラブの象徴となり続けた。ローリーは公式戦424試合で211ゴール、ピアソンは343試合148ゴールを決めている。

ピアソンは引退後チェシャーの郵便局で副局長を務め、ローリーは監督としてプリマスやオールダム、アヤックスなどを指揮した。

デニス・ヴァイオレット&トミー・テイラー

マンチェスター・ユナイテッドの歴史上最も優れた前線のコンビ…1位に肉薄するのは1950年代に現れたデニス・ヴァイオレット(写真上)とトミー・テイラー(写真下)だ。

1953年にテイラーがバーンズリーからやってきたとき、ヴァイオレットはユースから上がったばかりの新人。この二人はすぐにピッチで分かりあえた。なぜならテイラーは長身のエアバトラー、ヴァイオレットはスピード自慢のアタッカーで、お互いを補完できる存在だったからだ。

彼らの貢献によって1955-56、1956-57とリーグ連覇を達成し、ヨーロッパでも成功を収め始めたとき…あの「ミュンヘンの悲劇」でテイラーが死去。191試合131ゴールを決めていた男がこの世を去った。

ヴァイオレットはこの事故を生き抜き、数年でピッチに復帰。1962年に退団するまで293試合179ゴールを決めている。引退後は指導者になり、65歳で亡くなるまでアメリカのクラブや大学でコーチを務めた。

アンディ・コール&ドワイト・ヨーク

もちろん、マンチェスター・ユナイテッドの歴史的なパートナーシップとして最高のものは「兄弟」と呼ばれたこの二人だ。

アレックス・ファーガソンはユナイテッドの運命を好転させたものの、素晴らしいストライカーを欲していた。パトリック・クライファートの獲得を検討していたものの、それが失敗に終わった時、ドワイト・ヨーク(写真下)を引き入れることにした。

サンダーランド戦でアンディ・コール(写真中)とドワイト・ヨークが初めてともに出場した時、彼らがテレパシーのような理解を持っていることを誰もが理解した。

コールが2001-02シーズンにブラックバーンへと移籍するまで、彼らは4つのプレミアリーグタイトルを掲げることに成功している。

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