センバツ無観客開催は、現時点で理に適った当然の判断。高校野球に蔓延する思考停止を脱する好機となるか

3月4日、日本高校野球連盟(日本高野連)と毎日新聞社は、19日開幕予定の第92回選抜高校野球大会について、無観客での実施に向けて準備すると発表した。作家・スポーツライターの小林信也氏は、スポーツに限らず各種イベントが開催自粛を決定する中、11日に再検討の条件付きながら現時点で感染対策を徹底した上での開催を発表した日本高野連の決断にこれまでとは違う姿勢を感じたという。

(文=小林信也)

強い意志を持って「大会の実施を模索」

3月19日から開催予定の“春のセンバツ”(選抜高校野球)の実施をめぐって、4日、日本高野連の運営委員会と臨時理事会が開催され、開催の可否や方法が議論された。結果、この時点では「無観客試合を前提に実施できるよう準備を進め、3月11日に再度、実施の可否を検討する」と発表された。

会見冒頭、説明した丸山昌宏大会会長(毎日新聞社)によれば、「無観客を前提に、選手の移動も最小限にする。応援団や家族の応援もなし。開会式は中止。甲子園練習も中止。通常の抽選会を行わず代理抽選とする。消毒液の配布など球児の感染対策をできる限り行う。取材ルールの見直し。宿舎の安全確認などを決めている」という。

まとめて言えば、最少人数で試合の開催のみを行い、試合以外の付随的な活動や演出は極力取りやめる。感染防止を徹底し、それができないと判断されたら、「11日の時点で中止の決断を下す可能性もある」とのことだ。

その後の質疑応答でも、「今日の時点で中止を決定しなくても、まだ日数がある。出場校は最小限の選手を送る準備をするだけなので、11日の段階で中止を決めても対応に支障はないはず」という認識を示した。

言い換えれば、それほど強い意志を持って、「大会の実施を模索する」との意思を表した形だ。

「とにかく中止」は本質的ではない

決定期限を3月11日に設定した理由を問われて八田英二日本高野連会長は、「その日が安倍(晋三)首相の要請したスポーツなどのイベント自粛や縮小の期限に指定された日だから」と説明した。八田会長は併せて、「それまでに球児や大会関係者の感染予防対策ができるのか、それができないのであれば中止する」と明言した。

活動を中止さえすれば称賛される風潮は本質的ではない。「甲子園といえば入場行進」あるいは「応援」とも言われる高校野球の名物を中止する決断でさえ、断腸の思いだったはずだ。が、最後の最後に何を残すのか、を自問した結果、試合を取った。

あらゆるスポーツの中止や延期が決定される中で、「当面は実施を前提に準備を進める」とした日本高野連の方針に疑問を感じる人も少なくないかもしれない。

だが、会見を聞いた印象も含め、今回の決定には、大会主催者として、日本高野連として、熟慮の末の、そして情熱みなぎるまっとうな決定だったように感じる。

応援や入場よりも高校生の「試合」が先

無観客にすれば、昨年の大会では3億2828万1435円だった入場料収入がゼロになる。物品販売等の収入394万7949円も当然、見込めない。一方、支出は大会費の1億1277万5019円のほか、大会準備費、出場選手費、本部運営費、各団体への助成金など合計2億4148万8313円。これらの費用を入場料収入ゼロで対応する覚悟を持って、なお、実施への情熱を示したのだ。この点は、素直に大会関係者の熱意と使命感を受け止めたい。

今回の発表を「決断の引き延ばし」と非難する向きもあるかもしれないが、「まだ余裕がある」と会見で大会会長が語ったとおり、今日決めなくても、重大な影響はない。許される最後の期限まで、実施を前提に準備と努力を重ねるのは主催者として当然の姿勢だと感じる。

あらゆるスポーツの決断が混同して語られるが、プロ野球と高校野球を同一の基準で議論するのは違う。

オープン戦ならまだしも、もしプロ野球が「公式戦を無観客で実施する」と決めたら、私は疑問の声を上げるだろう。なぜなら、プロ野球は観客あってこそのプロ野球だからだ。しかし、高校野球は違う。

毎回多くの観客を集める人気イベントにはなっているが、本来は高校生の部活動であり、応援や入場料収入が先か、高校生の試合が先かと問えば、試合に決まっている。高校野球が無観客で行われるのは次善の選択としては理にかなっている。

「高野連の無理押し」は感じられなかった

ただやはり、部員たちや学校の級友たちの応援がまったくないのは、本当に残念だ。部活だから選手が試合をやれればいい、というものではなく、同じ高校に通う仲間同士が応援し、応援されるところにも高校スポーツの意義はあるからだ。

これを私は事前に日本高野連の理事の一人に投げかけた。人数を絞って、座席の間を開けての応援は認めることができないか? 答えはやはりノーだった。理由は、「大勢が甲子園に移動することの危険性、その間の感染の危険があるからだ」という見解だった。それに反論する言葉は、現在の状況下では見つからない。

記者会見を見ながら思うのは7月に開幕を控えた東京オリンピックだ。開催費用や参加人数のスケールが違いすぎる、すべて一緒にするのはもちろん違うが、開催可否の決断をするプロセスについては、東京オリンピックも同じ状況だと感じている。

まだ中止か開催か結論を出す時期ではない。余裕がある。ただ、その時期が次第に近づいてくることも確かだ。

莫大な予算や経費をかけた超大型イベントだからこそ、これだけ世界規模で脅威となっている新型コロナウイルスの影響を一切認めないかの姿勢で、一貫してただ「実施」を唱え続ける国際オリンピック委員会(IOC)や東京2020組織委員会の姿勢に大きな隔たりを感じる。

賛否両論あるだろうが、現在の思い、今後の準備、開催の可否の基準を明確に示し、苦渋も共有する形で会見をした日本高野連と毎日新聞社は、今回の会見についていえば、歓迎すべき仲間に思えた。これからの一週間で、学校、現場の指導者、選手、ファンの声も数多く届き、意見交換が行われるだろう。そうした声をまったく無視して、日本高野連の強引な決定が無理押しされる雰囲気は、今回の会見からは感じられなかった。

11日までに最善の道を探る議論を

日本高野連関連の出来事で、このような開かれた記者会見を目撃した経験があっただろうか。日本高野連は、自分たちの都合を押し通す組織だと、失礼ながらどこかで思い込んでいたファンも少なくないだろう。私もその一人だ。

SNSの普及などで距離感が大きく変わりつつある世論と組織の実情の中で、互いの議論が融合し、一緒に着地点を模索する関係の始まりにも見えた。

1週間、引き伸ばしたのでなく、ファンも一緒に、この問題を考え直し、最善の道を探る貴重な1週間になれば意義は深いと感じている。

出場が予定される高校球児や監督、コーチたちも、「日本高野連の決定に従うだけ」といった思考停止の受け身状態から脱し、4日の会見を受け止め、どうすべきか、いずれにしても自分たちにできること、成長の道は何かといった前向きな模索を野球以外の観点からもする好機ではないだろうか。

休校で部活動も中止しているはず。「練習不足でいきなり試合はできないだろう」との懸念を示す声もある。たしかに、通常通りの練習ができない不安はあるだろう。だが、1週間や2週間、全体練習ができなくても、体が野球を忘れることはない。そうした状況で試合をする場合にどう対応するかも、一つの経験であり、そこから学ぶ心技体の気づきもきっとあるはずだ。

<了>

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