第35回「人に優しくされると『迷惑をかけてしまった』と思ってしまう癖」

朗読詩人成宮アイコの されど、望もう

人の優しさ、そのまま受け止められますか?

こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

たびたび書いてしまいますが、「自分なんかが」問題にまたぶちあたっています。

お腹がすいたからごはんを食べようと思って、どこかお店に入って注文をして、いざ目の前にごはんが来た段階になると、急に「自分なんかがごはんを食べたからなんなんだ!お前にそんな価値があるのか!」って悲しくなって、調理してくれた人ごめんなさい、材料の生産者さんごめんなさい、農家さんごめんなさい、むしろお皿を作った人とか注文を取ってくれた人とか、生まれてきてごめんなさい、お母さんごめんなさい!ひえ〜!!!と混乱する現象が頻繁に起こるのですが、あれはどういう仕組みなのでしょう。

別に自分に空腹を耐えてほしいわけでもないし、一生ごはんを食べるなって思っているわけでもない。好きな食べ物だってあるし、今日はなにを食べようかなって考えたりもします。それなのに、いざ食べようとするとそんな状況になってしまうのです。

料理を作ることが好きなのですが、これも同じです。スーパーでにんじんに手を伸ばしたとたん、「わたしなんかが栄養をとってなんだっていうんだ」。ヨーグルトに手を伸ばしたとたん、「わたしなんかが人並みにおやつを食べようとしてなんだっていうんだ」。

ばかばかしくて笑えてくるときもあります。カロリーを摂取しようとしている自分にも、摂取しようとしていることを責めている自分の状況にも。

他のみんなはいい。

自分以外の全員は素晴らしく生きている(気がするから)。

でも自分はだめ。

だめの意味がわからない。

どうか、わたしはちゃんと頼んだごはんをおいしく食べて、血や肉にして毎日を楽しくすこやかに元気に生きてくれよ、頼むよ……なにがごめんなさいだよ。

同じシステムで、誰かに優しくされると、「迷惑をかけてしまった」と思ってしまう癖もあります。

ゴミを捨てにいったらゴミ箱の前にいた人に「あ、捨てておくから置いといていいよ〜」と笑顔で言われた日には、わたしごときが迷惑をかけてしまって申し訳ない、あなたが目の前にいるときにゴミを捨てにいったわたしのタイミングが悪かったのに、自分なんかに時間を使わせて笑顔まで使わせて今後どうしたらいいのかわからない!という頭の中の大討論会を力で押さえつけて、「ありがとうございます」ときわめて冷静なふりをして返すことに精一杯。

自分が逆の立場にいたら、ゴミをもらって捨てるなんて無に近いくらいのなにも感じないほどの労力なのに脳内はこの有様です。

優しさは優しさです、そのままの意味です。

それなのに、自分で自分に「おまえなんか」って、わたしはいったい自分になんの恨みがあるんだ?とは思うのに、今日もまた同じこと思っちゃったよーーーーーーー!世界中の全部にごめんなさいって思っちゃうよーーーーー!

楽しいことは楽しんでいいし、ゲームもしていいしごはんも食べていいし、誰かが優しくしてくれたら優しさを受け取っていい。……なんて、みんなも自分に言い聞かせて生きているのでしょうか。

Aico Narumiya Profile

朗読詩人。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。2017年に書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』刊行(書肆侃侃房)。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。ニュースサイト『TABLO』『EX大衆web』でも連載中。2019年7月、詩集『伝説にならないで ─ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』刊行(皓星社)。

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