HOUND DOG「涙のBirthday」もう一度、あのシャウトを聴かせてくれ! 1982年 9月1日 HOUND DOG のシングル「涙のBirthday」がリリースされた日

80~90年代の音楽シーンを牽引したロックバンド、ハウンド・ドッグ

男臭い独特な節まわしで歌うボーカル大友康平の個性が際立つバンド… それが HOUND DOG である。

1980年「嵐の金曜日」でメジャーデビュー。1982年「浮気な、パレット・キャット」が、カネボウ春のキャンペーンとヤマハ発動機『ポップギャル』のCMに抜擢されスマッシュヒット。その後も一筋縄ではいかない面々が意見をぶつけ合い、メンバーが固まらず、紆余曲折を経ながらも1985年「ff(フォルティシモ)」が、日清カップヌードル “ハングリアン民族” のCMソングになり大ヒットを記録。そうして1989年に日本武道館15日連続ライブという記録を樹立した。

HOUND DOG は、80~90年代の音楽シーンをぐいぐいと牽引したロックバンドとして見事なまでの存在感を僕らに見せつけてくれたのだ。

僕は若かりし頃 HOUND DOG のコピーバンドに参加したことがあって、そのときに HOUND DOG 大友康平の魅力と、八島順一が作った「涙のBirthday」という初期のバラードにいたく感動した思い出がある。今回はその辺りに焦点を当てて語ってみたい。

その多様な音楽性、ロカビリーだけじゃない!

僕は三歳年上の姉の紹介により、HOUND DOG をこよなく愛す社会人バンドにドラマーとして加入することになった。本来はベーシストなんだけど、一度バンドでドラムを演ってみたいなぁと思っていた矢先のお誘いだったので、ホイホイと引き受けることにしたのだ。

さて、このバンドに加入するまで僕が想像していた HOUND DOG とは「浮気な、パレット・キャット」のイメージで、「ロックンロール的なリズムを前面に出したロカビリーバンドかな?」という恥ずかしい限りの印象だった。ロカビリーな曲調とプレスリーを敬愛する大友の雰囲気がそうさせたのかもしれない。

ちなみにリーゼントと歌唱法は矢沢永吉の、マイクパフォーマンスはイギリス人歌手ロッド・スチュワートの影響である。ロッド・スチュワートは、西城秀樹や世良公則も髪型から何からめちゃくちゃ影響受けていたよね。

それはさて置き、コピーするため実際に HOUND DOG の楽曲を聴いてみると、想像していたロックンロールやロカビリーだけではなく多様な音楽性があって、そのなかでも取り分けダイナミックで美しいバラード曲に僕は魅了されてしまったのだ。それが「涙のBirthday」である。

ダイナミックで美しいバラード「涙のBirthday」歌詞を深読み

 まだ終わりじゃない
 涙でかわした口づけ
 あの店の階段で
 もう私死ぬわ
 なんて泣き笑い
 濡れた口びる噛みしめた

HOUND DOG は、大友康平が東北学院大学在学中にギターの高橋良秀に誘われて結成したバンドが始まりである。

その後、八島、蓑輪単志などをメンバーに加え、強力になった布陣でチャレンジしたおかげか『CBS・ソニーオーディション』(1979年)に合格。翌1980年に「嵐の金曜日」でメジャーデビューする。そして1982年にリリースした「涙のBirthday」でこの歌詞である。

一浪して入学した大友の卒業を待ってのプロデビューと考えると、20歳の後輩と付き合っていた大友が、仙台と東京を往復する生活のすれ違いが別れの原因と考えておかしくないはずなのだ(もしかしたら八島本人の体験かも)。

どちらにしても、この歌詞は彼らのリアルだと深読みできる。…だとすると、“あの店” とは実は仙台のライブハウスのことで、その店の階段で「もうバンドなんかやめて私だけをみて!」なんて彼女とケンカした思い出がそのまま歌詞になっているんじゃないか? などと思えてしまう。

彼女の誕生日に東京行きを告げる… ちょっとドラマチックすぎるけれども、そんなシチュエーションがあったことは容易に想像できる。よくある展開かもしれないけれど、だからこそ自分自身が失恋した経験に照らし合わせてしまうんじゃなかろうか。それ故に共感し切なく心に響く曲として、今もって人気があるのだと思う。… おっと、妄想が過ぎたようだ。

ハウンド・ドッグの魅力、それは大友康平の歌い方と声

さて、HOUND DOGの魅力とは、間違いなく大友康平の歌い方と声だと思う。モノマネタレントに、その独特な歌唱法をネタに使われることが多いけれども、それは声に特長があるってことだし、一度耳にしたら忘れられない印象を聴く人に与える歌唱パワーの証明でもある。サザンオールスターズの桑田佳祐や松任谷由実など多くの人気歌手は、その声質や歌唱法など際立った個性で勝負して大きく飛躍したわけで、大友の声も歌唱法もそれと同じ一流ということ。

僕が参加した社会人バンドのボーカルも、大友康平が好きすぎて “自作マイクスタンド” をいつも携帯していたし、リーゼントだったし、歌い方も声も大友康平にだいぶ寄せていた。当時はめちゃくちゃ真似しているなぁと思っていたけれど、ジャンク フジヤマ(山下達郎が大好きで歌い方も曲もウリふたつというミュージシャン)を知ってからは、人は好きすぎると無意識のうちに同化していっちゃうんだろうなぁ… と思っている。音楽に限らず役者さんとかもそういうところあるよね。

原点はやっぱりライブバンド、もう一度あのシャウトを聴かせてくれ!

ただ、HOUND DOG の未来はなかなか見通せない。バンド内で揉めてしまいメンバーが脱退、または解散とかはよくあるけれど、民事訴訟にまで発展したバンドは過去にも例がないんじゃないだろうか。この辺りの話題にこれ以上触れるつもりはないけれども、現在は大友康平個人が HOUND DOG をひとりで名乗っている状態だ。

また、本人は影響無いと断言しているけれど、突発性難聴のため片耳が不自由なのも事実であり音楽活動はあまり積極的ではないように思えてしまう。その代り俳優業のほうで活躍をしている。

しかし、大友康平、今年で64歳。この年齢のミュージシャンが多数活躍している例を見れば、大友にもまだまだ HOUND DOG の楽曲を歌って欲しいなぁと思う。可能性はわからないけれど、初期オリジナルメンバーの八島だって心の中では、また一緒に HOUND DOG をやりたいと思っているはずなのだ。

高品質な音源でもライブには敵わない。HOUND DOG は、そう思わせるバンドである。それは彼らの原点がライブバンドだということに他ならない。だからやはりライブで、生で、演奏を聴きたい!もう一度、あのシャウトを聴かせてくれ!

カタリベ: ミチュルル©︎

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