高校生だった16歳の時、バイクを運転中に大型トラックと衝突し、右脚を膝上から切断した。1週間後に意識が戻り、がくぜんとした。「将来への不安が脳裏をよぎり、人生のどん底だった」
転機が訪れたのは、事故から7年後の2005年。香川県であった身体障害者スポーツ大会を観戦し、片脚を失った人が走っている姿に衝撃を受けた。中学時代は陸上部で1500、3000メートルの選手だった。「自分にもできるはずだ」。体がうずいた。
約1年間の練習を経て、06年にハワイのホノルルマラソンに挑戦。10キロ付近で義足の接合部が痛み、30キロあたりから足を動かすたびに激痛が走った。
何度も心が折れそうになった。それでも、家族や友人が待つゴールを目指して9時間59分で完走した。「根性さえあれば高い壁も越えられる」と、08、10年にも出場した。
聖火ランナーに応募したのは、同じハンディのある人を勇気づけたいとの思いからだ。「同じ境遇の人が走るのを見て勇気をもらい、前向きになれた。今度は自分の力走を見せたい」
月2、3回はコースに出るほどのゴルフ愛好家。16年のリオデジャネイロ五輪で112年ぶりに正式種目に復活しており、パラリンピックでも採用されるのを期待する。「ゴルフは年齢に関係なさそうなので、練習して出場を目指したい」と笑った。
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東京五輪を前に、徳島県内で4月16、17日に聖火リレーが行われる。参加するランナーの意気込みや横顔を紹介する。