【聖火をつなぐ】2「人生で2度も聖火ランナーが巡ってくるとは」 赤松則男さん(76)(徳島市中常三島町2、会社役員)

 1964年の東京五輪に続き、聖火をつなぐ。「人生で2度も聖火ランナーが巡ってくるとは思わなかった」と喜ぶ。

 前回ランナーを務めたのは20歳。徳島大工学部2年で陸上部員だった。当時の様子は鮮明に覚えている。9月18日午後4時12分、徳島市の東大工町交差点を出発。「時速12キロ」「トーチは垂直に」といったマニュアルに従い、徳島駅前までの約1・5キロを走った。

 「責任の重さを感じた。無事終わり、ほっとした」と振り返る。本番で使ったトーチとランニングシャツは大切に保管している。「何度か引っ越したけど、捨てる気になれなかった」

 徳島大を卒業後、京都大大学院で電気工学を学んだ。71年に徳島大に戻り、日本語ワープロソフト「一太郎」や、アニメーション制作などで使う電子ペンの開発に携わった。

 研究分野で成果を上げた一方、徳島大で38年間、教壇にも立った。ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏や、日立製作所の東原敏昭社長は教え子だ。今もスピーカーの開発を進めるなど研究意欲は衰えない。

 城南高時代から始めた1日置きのジョギングは60年間続けている。「前回ステンレスだった聖火トーチがアルミ製になり軽量化される。持って走った感覚の違いや感想をまとめたい」と笑った。

前回の聖火リレーで使ったトーチとランニングシャツを前に意気込みを語る赤松さん=徳島市中常三島町2

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