対馬市中部東岸の三浦湾から、徒歩数分で西岸の浅茅(あそう)湾に達する細長い地峡部にある美津島町小船越。鳥瞰(ちょうかん)すると、奈良時代の遣新羅使(けんしらぎし)ゆかりの二つの海に挟まれたこの地域が、古くから交通の要衝であった理由が読み取れる。地区の西岸に残る古代港跡「西漕手」を歩き、国境の荒海を渡った先人に思いをはせた。
江戸時代後期の郷土誌「津島紀事」によると、二つの海の距離は当時、1町38間(約178メートル)。遣新羅使は三浦湾で下船し、浅茅湾奥部の西漕手で乗り換え、外国(朝鮮)を目指したとされている。
現在では三浦湾側の埋め立てが進み、二つの海の間は約365メートルにまで広がった。波穏やかな西漕手には数隻の漁船が見える。西に漕ぎ出せば、やがて波高い対馬海峡に出る。
小船越郵便局の早田彰士(あきひと)局長(61)は「数十年前の国道拡張で西漕手近くが掘られた際、貝殻が出てきた。奈良時代、二つの海はもっと間近だったのかもしれない」と話している。
【動画】対馬・西漕手 二つの海つなぐ古代港跡
- Published
- 2020/03/13 20:53 (JST)
- Updated
- 2020/10/10 17:23 (JST)
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