ロッテドラ1佐々木朗の“牛歩”調整 高校時代の恩師と吉井コーチに見える共通項

ロッテ・佐々木朗希【写真:宮脇広久】

高校時代の恩師と吉井コーチに「筑波大」「米国」の共通ワード

 ロッテのドラフト1位ルーキー、佐々木朗希投手が東日本大震災から丸9年の11日、小学3年のときに被災し父・功太さん(当時37歳)や祖父母を亡くした心境を明かし、「今こうしてプロ野球選手としてこの日を迎え、これからは発信していかなきゃいけない」と決意を述べた。決して多弁なタイプではないが、震災の記憶、教訓を風化させてはならないという思いがにじんだ。

 亡くなった親族に「活躍しているところを見せたい」とも語ったが、その調整ぶりは“牛歩”と呼びたくなるほど慎重だ。

 前日の10日に本拠地ZOZOマリンスタジアムのブルペンで投球練習。「(捕手を)座らせるのは2度目で、前回座らせたときより思うように投げられました」と言う。佐々木朗の場合、捕手がホームベース上に座り、やや近距離で投球するケースがあるが、本人はこれを「座らせた」とはカウントしていない。本格的な投球練習は、2月27日にプロ入り後初めて正規の18.44メートルの距離に捕手を座らせて以来というわけだ。

 吉井理人投手コーチは、短い距離で投球させる効果について「(正規の距離で投げさせると)細かいコントロールとか球質とかが気になってしまう。まだそれをさせたくなかった。短い距離なら、結果が出る前にキャッチャーが捕ってしまいますから。とにかく気分よく投げさせたかった」と説明している。

「座らせた」にしても、今のところ球種はストレートのみ。「(変化球は)キャッチボールで練習していますが、座らせると感覚がだいぶ違うと思う」と佐々木朗。今後、変化球を交えた段階を経て、今月下旬にようやくフリー打撃に登板する見込み。周囲の評論家諸氏らは2月のキャンプ序盤のキャッチボールの段階から「明らかにモノが違う。早く試合で投げる姿を見てみたい」と絶賛していたが、その日はまだまだ先だ。

 佐々木朗は大船渡高のエースだった昨夏、周知の通り、甲子園出場をかけた岩手大会決勝の登板を回避し物議を醸した。当時「故障を防ぐために私が判断した。3年間で一番壊れる可能性が高いと思った」と説明した国保陽平監督は、筑波大を卒業後、米独立リーグでプレーした経験があった。

 現在、佐々木朗を指導する吉井コーチも、米大リーグに5年間在籍し通算32勝を挙げ、現役引退後に筑波大大学院でコーチング理論を学んでおり、基本的に高校時代の育成方針を引き継いでいるようにみえる。ファンにとってはなんとももどかしいが、待たされる分、佐々木朗が実際に打者に立ち向かう姿を見るときの楽しみが大きくなるとみるべきか。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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