『さいはての家』彩瀬まる著 「家」もつまりは通過点にすぎない

 家、というものを持つとき。その行為はすべからく、「今日と変わらない明日がくる」ことを前提としている。明日も明後日も、1ヶ月後も1年後も10年後も50年後も、今日と変わらない明日がやってくる。自分は、ここで、この人たちとずっと生きていく。そう信じ切ることが、この国ではめでたいこととされていて、だから家を建てるにあたっては、地鎮祭とか上棟式とか新築祝いとかなんだとか、折り目折り目に祝い事が差し挟まれる。

 この短編集に出てくる登場人物たちは、とにかく「家を持つ」ことに不似合いな人たちだ。妻子ある男性と駆け落ちしてきた女は、いつか天から「ばち」を食らって、この生活が強制終了させられることを念頭に置きながら生活している。なんらかの汚れた仕事から足抜けを図る男は、なんらかの人物に向けて拳銃の引き金を引いたあと、友に連れられ、とある事故物件に越してきた。不穏だ。きわめて不穏である。

 彼らの共通項は、自分は「ホーム」ではなく「アウェイ」にいるのだと深く認識している点だ。居心地がいいとか悪いとかは問題ではない。今の居心地は悪くはないのだけれど、でもここは自分の帰るべき場所ではないと知っている。そういう主人公たちが、それぞれの日々の中、静かに変わっていく。

 急に手触りを変えるのは、3本目に束ねられた短編『ひかり』である。主人公は、人並み外れた神通力を身につけ、たくさんの女性の心身の苦痛を癒やし、女性たちを束ね、巨大な教団を作ってのしあがり、転落し、ある貸家へ流れ着いた老婆だ。彼女が歩いてきた、天と地がひっくり返るような激動の道のりを、読み手は息を呑んで見守る。彼女にとっての「ホーム」は、果たしてどの時点の、どの場所なのか。

 ページをめくる指が、女としての怒りに震えたのは4本目の『ままごと』だ。主人公は、それなりに器用に世を渡ってきた女子大生。父親は製菓会社の社長で、そのコネで就職先も決まっている。主人公は父が大好きだったけれど、あるきっかけで、父の中に潜む、女性への蔑みに気づいてしまう。家族ぐるみの人権蹂躙。「帰るべき家」が「一刻も早く離れたい場所」へと一瞬で反転する。

 最後に収められた『かざあな』もまた、かつては平然と暮らしていた場所が反転する物語だ。生まれたばかりの子供と妻を置いて、単身赴任してきた男の物語。男の心境の変化が淡々と描かれていくのかと思いきや、中盤から、見たことのない景色がぐんぐんとあらわれる。そして、彼がたどり着く境地とは。

 人は皆、自分を曲げて、それぞれの場所に順応しようとする。そうしようとしていることに、自分自身でも気づかぬままに。果たして、そうやって得た居場所はほんとうに、帰るべき場所なのか。人は変わる。変わり続ける。であれば「一生変わらず在り続ける家」など、どこにもありはしないのではないか。

(集英社 1500円+税)=小川志津子

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