精神障害者手帳はずるい?その実態

障害者手帳とは?

障害者手帳とは、障害者として市役所等に申請し、認定された人に交付される手帳である。

手帳といっても何かを記入するための余白はほぼ無く、実際には写真つきの身分証明書に似たものになる。

障害者手帳の申請

各種のけがや疾患などにより障害の状態にある人が申請することができる。

手順としてはまず、住所地の役所の障害者福祉窓口で診断書(意見書)の書式をもらう。

そして、その件で通っている医療機関の主治医に記入してもらい、障害者福祉窓口に提出する。

申請された内容が審査され、審査が通ると障害のレベルに合わせた等級の手帳が交付される。

申請書類を提出すること自体は誰でも可能だが、障害とするには程度が軽い場合、主治医が診断書(意見書)を記入することをためらったり、役所の職員に長い説明を受ける。
折角申請したのに審査が通らず却下されてしまうこともあるからだ。

障害者といえば肢体不自由などの身体障害者がよく知られているが、精神障害(疾患)に関しても申請があれば審査を経て、見合った等級(1~3級)の手帳が交付される。

れは精神保健福祉法に基づき、社会生活・日常生活に明らかな支障をきたしている人の支援・自立促進のために発行される。

2年ごとの更新制のため、定期的に医師の診断書を提出して認定される必要がある。

理解されにくい精神の障害

身体の障害や病気については一般的な認知・理解が進んでいるものも多く、適切な配慮がされやすい。

一方、精神疾患は物理的な病気とは異なることが多く、また、明らかな異常行動が見えない限りその苦痛や困難の度合いが客観的に判断されにくい。

そのため、「構ってほしいだけ」「誰でも人生苦しい時はある」「体は健康なんだから特別扱いはしない」というような無理解にさらされることが多く、社会的な生きにくさは身体障害者よりも深刻だ。

特に、脳や神経伝達物質が深く関与する精神疾患は、周囲のサポートが不十分なままだと人知れず重症化してしまうこともまれではない。

「心の病気は甘え」「いい大人なのに」等という無神経な言葉のひとつひとつが精神障害者を生み出し、医療や福祉なしには生活がおぼつかない状態にしていく現実は、もっと知られてもよい。

誰でも、自力で自分らしく強く生きたいのは当然だ。

それをしたくてもできない、しようと思う意欲さえ失われてしまう、それが精神疾患であり障害なのだ。

メリット

さて、生活上に支援が必要な精神障害者にとって、手帳はどのようなサポートをしてくれるのか。
細かくは等級によって変わるが、例えば以下のような補助が受けられる。

・障害者向けの福祉サービスが受けられる

医療機関の受診だけでなく、デイケア通所やグループホーム入居などによって少しでも健常者に近づけるよう訓練することができる。

・障害者雇用枠での就職活動ができる

精神障害に理解を示す企業に雇用されることによって、無理のない範囲の業務を割り振ってもらったり、不測の体調不良などに配慮されやすい環境で働くことができる。

障害者枠でない一般枠で、障害を公表せずに応募することも実際的には可能だが、当事者にとって、健常者と同じ環境・待遇で働くことは困難であるケースが多い。

・一部の施設やサービスが割引・無料になる

公営の美術館や博物館・動物園が無料になったり、交通機関や民間のサービスが半額になったりと割引が適用されるケースがある。

精神障害を持つ人は自責の念や無気力、人生への失望や慢性的な不安を抱えていることが多い。労務困難なレベルの障害状態であれば、当然経済的にも苦しい。

そのような状態で引きこもっていては体力も失われ生活リズムも狂い、どんどん社会から隔絶されてしまう。

たとえ少しでも外出する機会や通える場所があれば、「こんな自分でも行ける場所がある」という気持ちになり、生きる気力を取り戻すことができるかもしれない。

・税の控除がある

手帳が必要なほどの精神障害者は日常生活や社会生活に明らかな支障があるため、負担のある労働が難しい人が多い。

障害者枠で就職できたとしても、賃金は低いことが多く、また、障害者枠なのに明らかな差別をされてしまうケースも残念ながらある。

反対に、双極性障害や解離性同一性障害、依存症などでは、出費をコントロールできず自分の金銭管理が難しくなってしまうこともある。

自分や家族が障害者手帳を持っていると、年末調整や確定申告の際に障害者控除として所得税や住民税の軽減が受けられる。

障害者手帳(精神)を取得・利用することはずるいのか

まだ世間的には十分理解されにくい精神障害者

そんな彼らが障害者手帳を取得・利用すると心ない匿名のSNSで嘲笑の的となったり、

「甘えで手帳なんか振りかざしてずるい」
「得するなら自分も障害者になりたい」

といった心ない言葉が見聞きされることがある。

しかし本当にそうなのか、今一度考えてみよう。

医療機関での治療が必要なほど苦しみ、公的な手帳が発行されるほど重症化した人達。
精神科医も自治体も、ただ甘えて得したいだけの人に無責任に診断書を書き承認をしているわけではない。

当事者も、できれば普通に働いてきちんと稼ぎ、障害者などというレッテルとは無縁に健康で充実した生活を送りたかったのではないだろうか。

手帳の利用によるメリットなど、それに比べたら微々たるものだ。自分で稼いで、日本のために納税して、どこにでも自由に行ければそれが最高ではないか。

本来なら、障害などには縁がないと思っていた健常者さえも、運悪く様々な負荷が積み重なったり潜在的な体質の弱点が現れたりすれば、いつ障害者になってもおかしくはない。

健常者にも障害者にも、分け隔てなくいたわり合う世の中になればと願ってやまない。

(文/ニジクマノミ

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